« 第307回「歩くこと」 | TOP | 第309回「考えなくていいことをわざわざ考えてみようシリーズその2人はなぜ知ろうとするのか(後編)」 »
2008年03月09日
第308回「考えなくていいことをわざわざ考えてみようシリーズその2人はなぜ知ろうとするのか(前編)」
デヴィッド・リンチをご存知でしょうか。おそらく誰もが知っている人ではありませんが、日本ではドラマ「ツイン・ピークス」や映画「エレファントマン」などでその名を知らしめた映画監督です。この2作品は比較的わかりやすいものですが、基本的に彼の作品はとても難解なものが多く、ある意味、大衆向けではないかもしれません。だから彼の作品を待ち望む人と、拒絶反応を起こす人とに別れるのです。そんな難解な映画ばかりかと思いきや、「ストレイトストーリー」という、ある老人がまっすぐな道を進んでいくという、非常にわかりやすい(とはいえ深いのですが)映画も残しています。それはまるで、「別にわかりやすいのも撮れるんだぜ」と言っているかのようにさえ感じます。また、別の監督が撮ったかと思わせるほどのあまりのヒューマンな温かいストーリーは、デヴィッド・リンチという監督をむしろ、よりいっそう不可解で不気味な人物に印象付けるのです。
その彼が5年ぶりにメガホンをとったのが、昨年7月に日本で公開され、裕木奈江さんが出演していることで話題にもなった、映画「インランド・エンパイア」です。デヴィッド・リンチの新作ということで、ニューシネマパラダイスから時計仕掛けのオレンジまで愛する僕は、とても期待に胸を膨らませました。
「今度はどっちでくるんだ?」
というのも、これまで不可解なものが続いていたので、かつての「ストレイトストーリー」のように、その流れを裏切るような、逆の方向性の可能性もあると思ったのです。そして少しずつ情報が集まってきました。
「今回のは今まで以上にやばいらしい...」
どうやら、これまで以上に不可解であるという噂を耳にしました。誰の感想をきいても、よくわからない、の一点張り。それも3時間もあるらしい。その言葉が僕の体を劇場から遠ざけていきました。そんなある日、体調がよくて夜更かしをしたい気分だったときに、ふと思い出してしまったのです。きいたらちょうどレンタル開始されたばかり。僕は遂に、禁断のリンチワールドの扉に手をかけてしまったのです。
「なんだ、これは...」
それは、噂どうりの代物でした。不可解さ200%、ポカン度300%。3時間ジャストという、どこか作為的な長さもさることながら、途中で完全に迷子になってしまうのです。いままでの彼の映画は何度も見返してどうにか読解してきた僕も、さすがに「え、どういうこと?」と何度も顔をしかめてしまいました。本当に3時間目が離せないし、目を釘付けにしたところで理解できるものでもありません。すべてを理解しようとするよりも、むしろ、わからないところを無視していかないと、気になってなかなか先に進まないのです。とはいえ気になることは雪だるま式に増えていきます。だから、常に気になっていることに引っ張られながら物語についていかなければならないのです。マラソンの最後尾の友人を気にしながら先頭集団にも着いていかなければならない、そんな状況です。そして徐々に自分の前を走っている者よりも、後ろにいる者のほうが多くなり、気付けば自分がどこを走っているのかさえもわからなくなっているのです。わけがわからないまま走っていたら目の前にゴールテープがあって、一応完走できたなぁ、というような映画なのです。これほどまで内容をきかれて困る作品に出会ったことはありません。
正直、彼は意地悪なのです。観る者に親切でないのです。それが「愛がない」という意味では決してありません。だからといって、ただ単に意地悪に作ったってこうはなりません。しっかりと道理にかなった物語じゃなければ3時間も見られないのです。でも、そのしっかりとした世界は常に、曇りガラスの向こう側なのです。
ただ、この映画のすごいところは、彼のほかの作品もそうなのですが、これほどまでに不可解でなんだかよくわからない映画なのに、「メチャメチャ面白い」ということなのです。(「面白い」の定義に関してはいまは置いておきます)完全なる5つ星なのです。理解してこその評価ですが、理解してなくても面白いと思わせる映画なのです。そこが彼のすごさなわけですが、こんなにワクワクして、観終わったあと何日間もあとをひくものは滅多にありません。いまでもいろんなシーンが脳を掠めるのです。いまだに頭の中でさらに熟成し、まるで映画はまだおわっていないかのようにすら感じるのです。
そう考えると、ストーリーってなんなんだろう、と思ってしまいます。理路整然としたストーリーは確かにわかりやすいけれど、そのわかりやすさは果たして現実か?と問いかけたくなります。リアリティーを追求すればするほど、それは不可解なものになるのかもしれません。そういう意味でこの映画は、これまでの映画やドラマなどの物語の見せ方を覆す作品なのかもしてません。かといって、こういう類のものばかりが増えてもこまりますが。
ここまで切々と書き連ねてきましたが、実はこの映画の素晴らしさを伝えたいのではありません。伝えたくないわけではないのですが、今回の主役ではないのです。今回伝えたいのは、この映画の素晴らしさを支えているものです。これがあるからこそ、この映画が成り立っているといっても過言ではありません。今回の主役、それは、人間の「知りたいという欲求」です。
この映画の特徴のひとつは、途中まではとてもわかりやすいところにあります。(といっても、彼の作品の中での基準なので一般的な映画の中においては難解)途中までとても汲み取りやすい話が進んできて、ある瞬間突然、ありえない映像を突きつけられるのです。当然「え!!!」となります。ここにデヴィッドリンチの作戦があるのです。
最初から迷わせないで、少し楽しい時間を過ごさせてくれた矢先に突然暗闇に放りこまれるのです。「ちょっと待ってよ!どういうこと!」と叫びます。叫びながら暗闇の中を彷徨っているうちに、だんだんその暗さに目が慣れてきて、ぼんやりと世界が見えてくるのです。でも決して視界は良好ではありません。もやもやした世界がずっと続き、「もしかしたら、ここはあの時の...」くらいで結局霧が晴れないまま3時間たってしまうのです。
最初にわかりやすくしておいて、そのあと暗闇になる。そしたら人は電気のスイッチの場所を探すでしょう。本来暗闇でないことを知っているのだから、なぜ暗闇になったのか原因を探すでしょう。スイッチの場所を知りたがるのです。「知りたいという欲求」がうまれるのです。この「知りたい欲求」こそが、この映画を支えているのです。つまりこの映画はそれがなければ成立しない、ということです。当たり前のことをいっているように思うかもしれませんが、そこは冷静になってください。人に「知りたい」という欲求がなければ、面白いとは感じないのです。そうでない映画はほとんどないですが、この映画は「知りたい欲求」を<特に利用した>映画なのです。僕がワクワクしたのは、「知りたい欲求」の器をちょうどいいところで突然ひっくり返され、完全なる空にされたからなのです。
人はなぜ、知ろうとするのでしょうか。人はなぜ、知りたいという欲求がうまれるのでしょうか。別に知らなくても生きていけます。でも人は、知ることに対して強い欲望があります。それは、「好奇心」という言葉だけでは片付けられないもっと奥深いものがある気がするのです。「知りたい欲求」、これはきっと「インランド・エンパイア」以上に不可解なものです。次号に続きます。
P.S.
デヴィッド・リンチをまだ体験していない人は、「エレファントマン」「ストレイトストーリー」「マルホランド・ドライブ」を観てから、今回の「インランド・エンパイア」にチャレンジしてみてください。
1.週刊ふかわ |2008年03月09日 09:23
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://watanabepro.sakura.ne.jp/happynote/blog_sys/mt-tb.cgi/55