« 第306回「雨にぬれても」 | TOP | 第308回「考えなくていいことをわざわざ考えてみようシリーズその2人はなぜ知ろうとするのか(前編)」 »
2008年03月01日
第307回「歩くこと」
最近、よく歩くようになりました。コンビニやスーパー、ちょっとした用事があるとき、これまでは原付で行っていたのをやめて、歩いていくようになりました。決して環境のためとかではありません。自分のため、いや自分のお腹のためです。近頃、よくメタボリックという言葉を聞きますが、僕の場合は昔からお腹が幼児体型的なところがありまして、20代ではまだ目を瞑れたものの、30を過ぎたあたりから、これはシャレにならないぞという感じになってきました。それで夏にはジョギングをしたり、どうにか膨張を食い止めることができていましたが、それもいまとなっては昔のこと。去年に関しては夏になっても減少せず、もはや万年雪ならぬ、万年メタボになりつつあるのです。
さらに、拍車をかけてひきこもりがちな日常は、ひどいときで一日12歩くらいしか歩かないこともあります。この前もアマゾンから届いた郵便物を取りにいくだけで一日が終了したことがありました。もはや僕と社会とをつなぐ唯一のパイプがアマゾンになってしまいました。今アマゾンを奪われたら僕は孤独死してしまうかもしれません。かといって、家で一日中ボーっとしているわけではありません。頭の中ではものすごい想像の大海原を大航海しているわけです。だから毎日ぐったりなのです。ただ、いくら想像の世界で大航海していても、現実の世界で12歩しか動かなかったらいつまでたってもメタボ体型はなおりません。やはりなにかを改善しなくてはと思い、「なるべく歩く」ことにしたのです。
するとどうでしょう。原付であれば1分で到着していたのが、歩くと5分かかるようになります。銀行に行くのに3分だったのが10分、スーパーに5分だったのが15分、往復だと30分以上かかるようになります。お腹が空いてごはんを買いにいくのにわざわざ30分も歩くのかと、ついつい原付にまたがりたくなりますが、それをぐっとこらえて、歩いて買いに行くようにしたのです。するとその分、いつもは存在しなかった時間がうまれるのです。そして、うまれるのは、時間だけではありません。
「歩くと普段目の届かない所に目が行くようになる」
なんてことを、これまでに死ぬほど聞いてきましたが、たしかにそのことに関しては否定する余地がありません。ほんとに、「あれ、こんなところに」といった感じで、普段原付や車、ジョギングなどでは気づかなかったものが目に飛び込んでくるのです。そこに新たな世界があるのです。歩いて見える世界、原付で見える世界、車から見える世界、それらはすべて違うもので構成され、まったく別の世界を生きているようです。だからきっと、同じ場所にいる人たちも、それぞれに違うものが見えていて、それぞれに違う世界を生きているわけです。
やはり、人生でも同じことが言えるでしょう。あんまりスピードが速いと見えるものも見えなくなってしまいます。誰かが傷ついていることに気づかなくなってしまいます。ジョギングでも自転車でも車でもいいけど、ときにはゆっくり歩いていくことも必要でしょう。それこそ立ち止まることも。人はいつのまにか、ごくあたりまえなことができなくなってしまいました。
日々の生活をどのスピードで進んでいくかで、見えてくる世界は違ってくる。見えてくる世界が違ってくると、幸福に感じることも変わってくる。空が青いことを忘れていたら、太陽の輝きを感じられなくなったら、それはどこかで無理をしている証です。そろそろペースを変えるときかもしれません。空の青さや太陽のまぶしさ、澄んだ空気、周りの人たちの表情、それらをいつでも感じられるペースでいることが人間には大切なのでしょう。そうすると、いつのまにかお腹のまわりも改善されているかもしれません。歩くって、奥が深いです。
1.週刊ふかわ |2008年03月01日 08:42
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://watanabepro.sakura.ne.jp/happynote/blog_sys/mt-tb.cgi/54