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2008年02月17日
第305回「考えなくていいことをわざわざ考えてみようシリーズその1愛」
「世界で最も大きい工場は心である」
さっそく格言がでてしまいました。まだ言葉選びに検討の余地がある気がしなくもないですが、そうです、世界で一番大きな工場はトヨタのものでもシャープのものでもありません。皆さんの中にある、心です。そして、その工場で生産されるもの、それは愛です。厳密に言うと愛だけではありません。いろいろな感情が生産されますが、「愛」が一番大きいし、賞味期限も一番長いです。33の男がこんなことを言っていると気持ち悪く思われるかもしれませんが、「愛」について、わざわざ考えてみましょうか。
その前に、現在当たり前のように存在している「愛」ですが、日本では明治時代くらいまでその概念がなかったそうです。「愛」という文字はありましたが、現在のような使い方はされておらず、古典に詳しい人は知っているかと思いますが、「愛し(かなし)」と読まれていました。なんとなく言葉の流れが想像できますね。では、概念でなく、もしも「愛」そのものがなかったら、世界は今頃どうなっていたでしょうか。
大きくいうと、争いが絶えず地球が滅亡しているか、まったく争いが起きずスーパー平和かの、どちらかではないでしょうか。「平和」の定義についてはいまはおいておきましょう。
まず前者ですが、愛がないゆえに争いが絶えず、欲望(広義ではこれも愛のうち)のみが支配する世界です。その結果、あらゆるところで戦争が起き、地球が滅亡する、という考え方。
後者は、愛がなければ憎しみもなく、まったく争いが起きずに平穏無事な日々が続く世界。あるいは、一時的に争いは起きても、権力がすべてを支配し、あらゆるものを鎮圧して、表面的には静かな世の中になっていたかもしれません。
ところで僕たちは、「愛」というものをどこか神聖で清らかなもののように捉えてしまいがちだけど、「愛」は、ひとたび使い方を間違えてしまうと、恐ろしいほどの牙をむくことがあることも忘れてはいけません。愛が地球を救うこともあるし、愛が戦争を起こすこともあるのです。少なくとも、現段階では。愛の使い方を間違ってしまってはいけないのです。これに関しては以前述べたので今回は割愛します。(あ、ここにも愛という文字が!)いずれにしても、実績から見れば、愛がこれまでの地球を支えてきたのであり、もしも愛がなかったら地球は滅亡していたと捉えるほうが適切でしょう。
では「愛」はどうやってうまれるのでしょう。冒頭のとおり、工場で愛が生産されるのですが、いったいどのような工程なのでしょうか。
愛は基本的に、人と人との触れ合いによって生まれるものです。しかし、それは人だけではなく、動物やモノに対しても、それこそ目に見えないモノにも愛は生まれます。家族を愛する人、恋人を愛する人、ペットを愛する人、国を愛する人、音楽を愛する人、絵画を愛する人。僕の持論ですが(っていうか持論だらけ)、共通するのはきっと、心の隙間をうめてくれる、ということでしょう。それが人だろうとモノだろうと、心を満たしてくれたとき、それに対する愛が生まれるのです。だから、すべてが満たされ、心が満タンの人には、愛はうまれないのです。まぁそんな人はいないでしょうけど。また、仮に自分とまるっっっきり同じ人物が現れても、その人に対する愛は芽生えにくいことになります。これも現実的にはありえませんが。結局のところ、愛は心でしか生産できないのです。愛は科学で生産できないわけです。(これも格言!)そしてこれから先、どんな未来が訪れようとも、「愛」を解明できないのです。このことに関しても以前述べたので、ここでは割愛します。(あ、また!)
万が一、科学が「愛」を解明できたら、そう、科学で「愛」を作ることができたらどうなっているでしょう。「愛」のカタチが見えて、「愛」の量をはかることができる世界です。するとどうでしょう。世のなかのほとんどの恋人たちはことごとく別れていくことでしょう。愛のカタチも愛の量も、そんなこと知らないほうがいいのです。
では、愛の量をコントロールすることはできるでしょうか。もしかすると、ペットなどの別のものに振り分けることはできても、ひとつのものに注ぐ量を直接調節することは無理でしょう。
ついでですが、好きが愛に変わる瞬間がいつなのかわかったらどうでしょう。科学の進歩により、「好き」が「愛」に変わった瞬間にメールが送られてくるシステムになるのです。「好きが愛になりましたよ」と。おそらく言われてもピンとこないでしょう。愛は意識することではなく、心が感じるものなのです。(ややこしいですか?)
「愛」はわからないから偉大で、わからないから永遠なのです。そして、その愛を生産できる工場を持っている人間ってどんなに素晴らしいのでしょう。トヨタよりも、シャープよりも大きな工場を持っているわけですから。そんなことをときどき思い出してもいいかと思います。見えない世界の話ですが。
わざわざ考えてみようシリーズ、いかがでしたか。次回もしやるときは、「考えなくていいことをわざわざ考えてみようシリーズその2人はなぜ怒るとモノを投げるのか」をお送りしたいと思います。
1.週刊ふかわ |2008年02月17日 08:16
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