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2008年02月10日

第304回「永遠と一日」

 今年の正月、ほぼ動かずじっとしていた僕が、一度だけ出かけた場所がありました。コンビニなどを除いて、お正月に唯一出かけた場所、それはお墓です。
 自慢することではありませんが、儀式的におこなわれることや、実家の仏壇の前で手を合わせることはあっても、自発的にお墓参りというものをしたことがありませんでした。行かなきゃ行かなきゃと思っていても、日々の生活にかまけてしまい、結局いつも後回しになっていました。そんなある日のことです。
 「そうだ、今日お墓参りに行こう」
 朝、目覚めると、頭の中にふと浮かんでいました。なんの前触れもなく、なにかを感じていたのです。
 うちのお墓は郊外にあり、たくさんのお墓が集まる、いわゆる墓苑タイプで、車だと家から高速道路を使っても2時間以上かかります。音楽を聴きながら一人、運転していると、思い出そうとしてるわけではないのに、頭の中におばあちゃんとの日々が浮かんできます。祖父は僕が生まれる前になくなり、祖母が亡くなったのは今から7年ほど前でした。僕はわりとおばあちゃん子だったので、小さい頃からよく遊んでもらっていました。元気だったおばあちゃんも、ベッドの上でチューブまみれになっているおばあちゃんも、僕がこれまで目にしていた光景が頭の中をめぐっていました。
 いつのまにか建物はなくなり、周囲は自然の景色が広がっていました。途中に立ち寄ったサービスエリアは、平日の昼間ということもあってとても静かで、自販機で買ったコーヒーを飲んでいると、これまで目にしたその賑やかな印象との違いからか、どこか非現実的な空間にいるような感覚になりました。
 「ずいぶん田舎だな...」
 山の中に放り込まれるように、高速の出口がありました。その一帯は陶器が有名なのか、やたら陶芸の看板が目にはいります。それ以外にも、普段みかけないような珍しい店が点在し、どこか昭和の空気も漂っています。それらの光景が、またどことなく僕を異次元空間にいるような感覚にさせました。父が書いた手書きの地図と時折現れる墓苑の看板を頼りに、車を走らせていました。
 「ここだ...」
 目的地までの距離が徐々に少なくなり、ようやくそれらしきものが見えてきました。名前があっていることを確認し、車のまま中にはいっていくと、僕の目に衝撃的な文字が飛び込んできました。
 「まさか...」
 ゲートの前に「休園日」と大きく書かれた看板が目の前に立ちはだかっていたのです。こともあろうに、よりによって、はじめて自発的に向った日が休園日だとは。
 「っていうか、休園日なんてあったの...」
 目覚めとともに感じた何かはなんでもなく、単なる気のせいだったのか。3文字で突きつけられた現実にショックで倒れそうになっていると、奥からやってくる警備員の姿が見えました。
 「すみません、今日休みなんですよ」
 「そうなんですか、東京から3時間もかけて来たんですけど」
 「はい、お気持ちはわかるんですけど」
 「なんとかなりませんかねぇ」
 「申し訳ありませんが...」
 そんな感じだろうなと思いました。
 「お墓参りですか?」
 警備員はそう声を掛けてきました。
 「はい、そうなんです、休みって知らなくて」
 「建物は利用できませんが、お墓参りはできますので」
 「あ、そうなんですか」
 そういって、車のナンバーを控えると、彼はゲートを開けてくれました。
 「よかった」
 大きな3文字が脇に寄せられ、ほっとひと安心してゲートを抜けました。そこには山に囲まれた広大な敷地に、膨大な数のお墓が見えます。ほかに来園者はいないようで、静かにお墓が並んでいました。静寂に包まれた墓苑内に、桶に水がくべられる音が響き渡ります。僕はそれらを両手に持つと、何列の何番という、劇場の席を探すようにお墓を探しました。芝生を踏む音が聞こえてきます。
 「おそくなってごめんね」
 僕はこれまでを償うかのようにお墓を掃除すると、府川家と書かれた石の前に座り、しばらく目を瞑りました。
 それは、なにかがつながったような感覚でした。お墓の前で目を瞑り、手を合わせていると、本当に会っているかのように、元気なおばあちゃんの声が聞こえてきました。普段考えすぎだからちょっと休んだほうがいいよ、そんなことが言いたかったのかもしれません。おばあちゃんの永遠と、僕の一日がつながった瞬間でした。しばらくして僕は、また来るねといって、お墓をあとにしました。
 「お仕事がんばってください」
 そう言って、警備員さんに見送られると、なんともすがすがしい気分になりました。これまで後回しにしていたことがようやく成し遂げられたということだけではなく、どこか心と頭の中が浄化されたようなすっきりした気分で、体もなんだか軽くなっているようでした。
 これが昨年末のことで、それからというもの、すでに3回くらい会いに行っています。たくさん行けばいいというものではありませんが、すっかりはまってしまったのです。行くまでの道中、そして行った先での風景、それは一人旅にも似たところがありますが、現実と非現実の中間くらいのところにいるようで、とても楽しいのです。
 お墓参りというと、どこか儀式的な匂いがしますが、もっと気軽に行ってもいいような気がします。先祖を大事にすることは大事なことですし、決して特別な日に行われなくてもいいと思うんです。だから僕の中では「お墓参り」でなく「ストーンウォッチング」と呼んでいます。こうすることで堅苦しい感じが払拭され、カップルでも行きやすくなるのです。すでに僕にとって「ストーンウォッチング」は、サービスエリアめぐりと並ぶか、もしくはそれを追い越す勢いで、趣味の領域にはいろうとしています。
 永遠と一日が交わるところ、そこには見えない世界の入り口がありました。なにかあったら、いや、なにもなくても、ストーンウォッチングをおすすめします。きっと、心が満たされるから。

1.週刊ふかわ |2008年02月10日 09:58

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