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2007年12月23日
第299回「見えない世界」
最近になってようやくそのことに気付くことができたのですが、どうやら僕の回りには、見える世界と見えない世界のふたつの世界があるようです。それは決して、世の中には見えない大事なものがあるとかそういうことじゃなくて、「見えない世界」というれっきとした世界が存在するということです。
普段僕たちは、さまざまなモノに囲まれて生活しています。家にしろ、車にしろ、友人にしろ、すべて目に見えるモノの中に僕たちは存在します。つまり、見える世界の中で生きているわけです。でも実は、普段はあまり意識しないけど、僕たちはもうひとつの世界、「見えない世界」でも生きているのです。
見えないものが存在することは、小学生でも知っています。それは「愛」だとか「やさしさ」だとか、カタチにはなっていないけど、そういうものが存在し大事であることはよく言われます。でもここで言うのは、そういった分断されたひとつひとつの概念のことではなく、いま見えている世界とは別の世界が存在するということなのです。ただ見えていないだけで、もし見える世界で表現したのなら、それこそ宇宙規模、むしろそれ以上の広大な世界になることでしょう。では、「見えない世界」の存在を、僕たちはどうやって確認することができるのでしょう。
「見えない世界」を確認するにはまず、「見えない世界」が存在することを信じなければなりません。「見えない世界が存在する」なんていうと、「ないものがある」という風にきこえるかもしれませんが、そもそも僕たちは「ある」とか「存在する」というのをどうやって認識しているでしょうか。それは目や耳から入ってくる情報、手で触ったことによる情報がほとんどです。でも、それだけが存在を確認するものではありません。もうひとつ、存在している情報を認識するモノがあるのです。それが、心なのです。
目や耳や手などが、見える世界における、存在を認識するための道具であるならば、心は、見えない世界における、存在を認識するための道具なのです。心というもの自体、目には見えないものですが、これがないと見えない世界を認識すること、そして、見えない世界を生きることはできないのです。
科学がすべてを解明しているかのように思われていますが、実際科学で解明していることなんて微々たるものです。とくに、見えない世界では科学なんて通用しません。心を科学で解明することはできないのです。たとえば、人を好きになる気持ちはどうでしょう。考えてみたら、こんなにも身近に起きる不思議な現象はありません。誰もが経験し、感じている「好き」という気持ちは、科学の力をもってしても解明できないのです。もしも解明されていたら、自分を好きにさせるガムとかが発売されているのです。当然そんなものはないし、世の中にどの時代にも恋愛マニュアルなるものが横行するのは、科学では解明できない分野だからです。見えない世界のものに科学は太刀打ちできないのです。
人が人を好きになる、このことは、見える世界ではなにも起きてません。しかし、見えない世界では、確実になにかが起きています。なにかが生まれたのです。誰かを好きになった瞬間、目には見えてないのですが、確実に、なにもなかった0が1になっているのです。でも、見えない世界ですから、どうやっても目で確認することはできません。耳で聞くことも手で触ることもできません。唯一認識できるのが、心なのです。
見える世界で「愛」という言葉は存在しますが、「愛」そのものを存在させることはできません。なぜなら「愛」は見えない世界のものだからです。何度も言いますが、「愛」という見えないモノがあるということではなくて、「見えない世界に愛が存在する」ということなのです。物理的にとか、そういうことじゃありません。物理は見える世界の言葉です。見えない世界では、物理的という言葉も通用しません。心が反応したとき、見えない世界では、なにかが存在しているのです。
なのに人間は、見えない世界に気付かず、見える世界にばかりに気をとられてしまいます。見えるものに振り回されて、心で生きようとしないのです。見えるもの、触れられるものばかりに振り回されていたら、本当の幸福なんて訪れはしません。当然、見える世界を無視してはいけないのですが、そればかりになってはいけないのです。むしろ、見えない世界のほうに、人間らしさ、人間の真実があるのです。
どんなに科学が進歩しても、「愛」を目に見えるものにすることはできないでしょう。「愛」は、「心」でしか認識することができないのです。でも、この時期になると街が温かく感じるのは、単にイルミネーションのせいではなく、もしかすると人々が見えない世界を大切にしようとしているからかもしれません。見える世界と見えない世界は、きっとどこかでつながっているのです。
人々は、まだその存在に気付いていません。なんとなくわかっていても、信じようとしないのです。目を閉じて、ゆっくりと深呼吸しましょう。そして、心が動き出すのを待つのです。そうすると、次第にいろんなものを認識してくれるはずです。心がなにかを感じるはずです。それこそが、見えない世界なのです。
1.週刊ふかわ |2007年12月23日 09:47
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