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2007年12月02日
第296回「イマジン」
もうすぐ僕の大好きなアーティストの命日が訪れます。ご存知の人も多いかと思いますが、12月8日、それはジョン・レノンの命日です。
僕が最初に彼の音楽に出会ったのはかっこつけてるわけでも美化しているわけでもなく、小学校低学年の頃でした。当然そのときからジャケ買いなどしていたわけではなく、いわゆる兄の影響です。兄のいない隙に部屋に侵入しては、大事にしているレコードプレイヤーで勝手にレコードを聴いていたのです。今思うと、すべてCDでDJをする現在よりも、当時のほうがターンテーブルを使いこなしていたかもしれません。そのレコードの中に、レットイットビーがあったのです。レットイットビーはポールの曲だ、とかの話は今はおいておきましょう。そんな幼少期からビートルズにはまる僕の音楽的感性もさることながら、そんな幼児にまでくいつかせる楽曲のパワーもすごいです。「おしりかじり虫」どころの騒ぎではありません。それからというもの、ビートルズのサウンドは常に僕の体内を動脈のように流れ(オフコースが静脈)、ほかの音楽と比較できない存在になりました。でも、そのときはもう、ジョンレノンは生きてなかったのです。
1980年12月8日。ダコタハウス前にて、数時間前にサインをしてあげた一人の男性の手によって、ジョンレノンは射殺されました。すぐに病院に搬送されたものの、出血がひどく、いくら輸血しても彼を蘇生させることはできませんでした。そのニュースは一気に世界中の人々を悲しませ、世界」は空虚感でいっぱいになりました。そのニュースはオフコースのI LOVE YOUの中に収録されているのですが、当時の人々が受けた空虚感こそが、永遠の始まりだったのです。
僕は彼の音楽を愛しているからこそ、彼の死をあまり悲観したくありません。たしかにいま彼が生きていたら、どんなに素晴らしいことでしょう。もっともっと曲を作って、日本でもライブをしてくれていたかもしれません。ポールとのツーショットやビートルズ再結成も見られたかもしれません。それに、射殺した男のことを考えると、はらわたが煮えくり返る思いにもなります。でも、なのです。もし彼が生きていたら、現在ほどの影響力を持っていなかったのでは、と僕は思うのです。誤解して欲しくないのは、彼の力を低く見ているということでは決してありません。今後人類に彼を超えるアーティストは登場しないとすら思っています。でも僕が感じるのは、彼はあのとき射殺されたからこそ、ジョンレノンが永遠になったのだ、ということです。自分の生命と引き換えに、ジョンレノンは永遠を手に入れたのです。
だから、あの死が正しかった、ということではありません。そう考えないとやってらんねぇということなのです。
僕はときどき思うのです。あのときから現在に至るまで、いつも世界のどこかで彼の音楽が鳴り響いているのだと。いつもどこかで誰かが彼の音楽を聴いているのだと。そしてこれからもずっと、決して途切れることはなく、彼の音楽は鳴り響いていくのです。それが、永遠なのです。
僕は彼の作品を愛しています。だからこそ、彼の死をただ悲しいものとして考えたくありません。悲しむことは、きっと彼も望んでいないでしょう。彼のメッセージを抱き続けることが大事なのです。この世には存在していないけど、ジョンレノンは僕たちの心の中で生きているのです。それがつまり、天国なのです。
あの時、彼の音楽、言葉、想い、そしてジョンレノンが永遠になりました。いつも、この地球のどこかで、イマジンは鳴り響いています。そしていつの日か、イマジンで世界中を包み込むことができたなら、どんなに素晴らしいことでしょう。きっとジョンレノンも喜んでくれるはずです。銃声も悲鳴も聞こえない世界。そんなことをみんなで想像すれば、世界は平和になるのです。
1.週刊ふかわ |2007年12月02日 09:10
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