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2007年07月29日

第278回「distance(猫との)」

「どした?ん?どしたの?」
 気付くと僕は、一匹の野良猫に話しかけていました。
家の近所で、時折、猫を見かけます。おそらく誰かの飼い猫ではなく、野良猫です。その猫はきまって、仕事から帰ってきた僕の前に現れては、ものすごい勢いで逃げていきます。
「そんなに怖がらなくてもいいのに...」
 僕を退けるように走り去っていくその姿に、まったく信用されていないようで、ほんの少しさみしい気分になるのです。その後も何度か見かけるものの、その猫はいつも僕の横をすり抜けては、どこかへ行ってしまいます。その寂しさにちょうど慣れ始めた頃、ある変化が訪れました。
「どしたの?」
 その日はいつもと違いました。いつものように一目散に逃げようとはせず、ただ黙って僕のほうを見ていました。
「ん?どした?大丈夫だよ、こわくないから」
 まるで恋愛ドラマの出会いのワンシーンのようでした。見つめ合っている僕と野良猫を、街灯が照らしています。
「ほら、こわくないから、おいで」
 まさに猫なで声で手を差しのべると、その動きに瞬時に反応して、僕の横をすっと通り抜けて逃げてしまいました。
「やっぱりだめか...」
 そのときの後姿に、またちょっとだけせつない気持ちが生まれていました。
「どした?ん?だいじょうぶだよ、こわくないよ?」
 それから数日後、また同じような状況になりました。僕はさらなる猫なで声で、彼女に手を差しのべました。彼女は逃げようとせずにまたじっと僕を見ています。
「ほんとになにもしない?」
「あぁ、なにもしないさ」
「そういって、なにかするんでしょ!」
「しないってば。僕は、人間の中ではかなりやさしいほうなんだから!」
「ほんとに?」
「あぁ、ほんとうさ...」
 そう言ってほんの少し近づこうとした瞬間、また彼女はものすごい勢いで走り去ってしまいました。
「もう...なにもしないって言ってるのに...」
 僕のつま先に白いラインが引かれているかのように、いつもほんのちょっとそこをはみだしただけで彼女は逃げてしまいます。過去にひどい男と付き合っていた女性が男性に対し強い警戒心を抱くように、人間に対して大きな壁を作っているようでした。
「いったい、なにが彼女をそうさせるんだ...」
 いつのまにか僕の中で、彼女との距離を縮めたい、僕と彼女のdistanceを縮めたいという思いが芽生えていました。
「ほら、なにもしないよ、ほら...」
 彼女はまるで、おかえりとでも言うかのように迎えてくれるのに、ある一定の距離から1ミリでも動くと突然いなくなってしまいます。
「どうしたら彼女に近づけるのか、どうしたら彼女の体を...」
 でも、僕はわかっていました。どうしたら彼女に近づき、体をなでてあげることができるのかを、知っていました。言い忘れましたが、今回はフィンランド滞在記とは一切関係ありません。ハーフタイムと思ってください。
「ちょっと玄関に猫がいるわよ!」
 母が僕をよびました。僕が近所をうろうろしていた野良猫に食べ物をあげてしまったばっかりに、その野良猫はいつも玄関のところでちょこんと座って待つようになってしまったのです。
「どっか連れて行きなさい!」
 必死のお願いで犬を飼うことを許可してもらった手前、これ以上わがままを言えない僕は、その野良猫を抱えて遠くまで連れて行き、走って逃げてきました。
「ごめんね!ごめんね!」
 でも翌日、玄関をあけるといつものようにちょこんと座っていました。むしろ辛いのはここからで、あんなけなげに座ってエサを待っている野良猫を無視し続けなければなりませんでした。僕が小学生のときのことです。
 つまり、エサをあげさえすれば、きっと彼女に近づくことができるのです。でも僕は、エサに頼りたくなかったのです。食べ物、つまり僕以外の魅力に惹かれて近づいたんじゃ意味がないのです。僕は、なんの関係でもない女性にヴィトンのバッグは買わないのです。猫とのdistance、僕と彼女の心の距離を縮めたかったのです。
「あーおなかすいた...」
「おなかすいてるのかい?」
「そうよ、今日だってまだなにも食べてないんだから」
「じゃぁ、なにか食べさせてあげようか?」
「なに?あるならそこにだしてよ」
「まぁそう焦らないでこっちへおいでよ」
「先に見せなさいよ、ねぇ」
「とりあえず、こっちへおいで、ほら、こっちへ...」
「そうやって騙そうとして!もういいわよ!ほかいくから!」
 ほんの少しずつではあるものの、猫とのdistanceはゆっくり縮まっている気がします。僕と彼女のdistanceが縮まるのが先か、結局食べ物をあげてしまうのか、あとは根気の問題かもしれません。
「ただいま」
「おかえり、おそかったのね」
「あぁ、ちょっと収録がおしちゃってさ」
「そっかぁ、どう新番組は?」
「ふかわ御殿?なかなか順調だよ」
「そう、よかったね。じゃぁ、ごはんにする?お風呂にする?」
「先おふろにしようかな」
「そしたら、ごはん用意して待ってるね」
 孤独の数だけ野良猫がいるのです。
P.S.:
8月4日(土)15時〜 札幌旭屋書店にてサイン会を行います。お近くの方はぜひ来てください。

ロケットマンの一人旅2007(クラブイベント&サイン会)情報はコチラ

1.週刊ふかわ |2007年07月29日 09:30

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