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2007年07月01日
第274回「フィンランディア」
「おい!あいつもう泣いちゃってるぞ!」
卒業式の予行演習のとき、感極まって涙を流している女子がいました。当時はそんな女子を「なんで演習なのに?」と若干馬鹿にしながら見ていたものの、大人になった今、その女子たちの気持ちが痛いほどわかります。卒業式の本番でなく、予行演習で涙があふれてしまうのはきっと、頭の中でイメージがどんどん膨らんでしまい、気持ちは卒業証書を受け取ってしまったわけです。現実よりも想像の世界のほうが激しい実感となって伝わるのでしょう。それだけ感受性が強いということかもしれません。
僕自身、学生時代の卒業式ではこれっぽっちも涙がでなかったものの、某深夜番組の卒業式においては本番どころか、収録が始まる前の楽屋で着替えているときに第一次涙腺崩壊が訪れ、慌ててトイレに駆け込んだものでした。ふとした瞬間にこれまでの出来事がまさに走馬灯のように頭の中を駆け巡ってしまったのです。自分で言うのもなんですが、大人になるにつれ感受性が豊かになっている気がします。
「はい、ざわざわしない!それじゃぁ、次は歌の練習をします!」
ステージ上に立つ先生がマイクで言うと、僕たちは事前に渡されていたプリントを手にしました。
僕が通っていた中学校の卒業式は、まるでオーケストラピットにいるオーケストラのように、吹奏楽部がスタンバイし、入場や校歌斉唱のときなど、節目節目で演奏して場を盛り上げてくれます。この吹奏楽部、たかが中学校の部活とはいえ、とても中学生とは思えないほどの実力がありました。というのも、当時の吹奏楽部は、誰がどう見ても文科系の練習風景ではありませんでした。どの運動部よりもランニングや筋トレをし、完全に体育会系のノリでした。なにより体力がなければいい音を鳴らし続けることができないからなのでしょう。その甲斐あって、全国でもトップクラスのブラスバンドとして名を馳せていたのです。その吹奏楽部の顧問の先生にマイクが渡されると、部員たちがそれぞれに楽器を構えました。
「それじゃぁ、みんなが立つところをやるから」
生徒たちを睨みつけるように言うと、それまでのざわつきが嘘のように体育館の中は静まりました。
式の最後は、卒業生たちの合唱で幕を閉じます。吹奏楽部の演奏にあわせて合唱するのですが、歌うのは曲の一部分なのです。吹奏楽部の演奏中に指揮者が突然合図をし、それを見て卒業生が一斉に立ちあがって歌いはじめるのです。タイミングをはずして立ち上がるとみっともないので、一人残らず一斉に立ち上がらないといけないのです。
「そんなだらだら立ったんじゃ巣立ちにならないだろ!もっとさっと立って!」
僕たちが合唱するのは「巣立ちの歌」という曲でした。当時は音楽の教科書にも載っていた気もしますが、交響曲の一部分なのです。一部分に歌詞がつけられ、それが日本では「巣立ちの歌」として歌われていたのです。
「ほら、なにぼーっとしてんの!全員できるまで終わらないからな!」
それは、シベリウスの「フィンランディア」でした。その名の通り、フィンランド出身の彼が、ロシアに占領された国民の意識を高めるために作曲したもので、当時はその性質上、なかなか演奏できなかったそうです。それにしても、まさか日本の卒業式に歌われることになるとは思ってもいなかったでしょう。ともあれ、僕がシベリウスを知ったのはそのときでした。
「これか...」
息を切らしながら岩盤の上に立った僕は、言葉を失いました。美とか文明とか時間とか、そういったものを超越した世界が目の前に広がっていたのです。その雄大な姿を眺めていると、自然の偉大さを感じずにはいられませんでした。
「この景色を見て作曲したのか...」
フィンランドの北カレリア地方にピエリネン湖という湖があります。その西側には、コリ国立公園と呼ばれる地域があるのですが、その中に氷河時代から2億年もの歳月を経てそびえたつ岩盤があります。そこが自然の展望台となって、ピエリネン湖を見下ろすことができるのです。ただ、湖といってもいわゆる湖とはわけが違います。まるで海かと思えるほど遥か彼方まで続く蒼い湖に、無数の島々が浮かび、気味悪いほどの静寂に包まれています。鳥の鳴き声が時折響き渡り、森からは世界中の雲を製造しているかのように霧が立ちこめています。自然はなにも言わず、ただじっと悠久の時の流れを見守ってきたのです。
まるで絵画のような、夢の中のような、神秘的という言葉だけでは済まされないフィンランドの原風景は、多くの芸術家たちを魅了してきました。シベリウスもその一人で、この地で滞在し、「フィンランディア」作曲に際し多くのインスピレーションを受けたと言われています。そしてこの景色がやがて、僕たちの合唱につながるわけです。
気持ちが落ち着いてくると僕は、岩盤に腰を下ろし、リュックからオーディオプレイヤーを取り出しました。ヘッドホンを耳に当てると、「フィンランディア」がきこえてきます。なんと贅沢な時間でしょう。体中に鳥肌が立ちました。最先端の文明と数億年も前に形成された自然とのコラボレーションです。気の遠くなるような年の差です。もはや体がおかしくなりそうで、旅の疲れも吹き飛びました。
これを体感するために、僕はひとり、フィンランドの地を訪れたわけです。といっても、これが目的のすべてではありません。あくまでそのうちのひとつです。
「フィンランドに行けば、なにか感じるだろう...」
そう思って訪ねた北欧の旅。いろいろな発見がありました。そこには、僕たちが失っていたものがあったのです。
1.週刊ふかわ |2007年07月01日 09:50