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2007年03月11日
第259回「返却できない男」
前回だったか、少し触れましたが、僕はビデオを借りていることを忘れることがよくあります。これは、ちょっとした病じゃないかと不安になるくらい、延滞率が高く、下手するとブラックリストに載っているんじゃないかと不安になるほどです。なぜ返却できないのかというと、それは単純に忘れてしまうからです。でも、ずっと忘れているかというとそうではなくて、ポイントポイントでは思い出しているのです。ふとした瞬間に借りていることを思い出し、そのときは「今日返さなくちゃ」と心に刻み付けるのだけど、数分後には、返却を誓ったあの頃のことをすっかり忘れてしまっているのです。人間の記憶というのはそういうもので、なんでもかんでも記憶し続けることはたいていできません。ごくおおざっぱに言えば、大事なことは覚え、そうでないものは奥の奥のほうへと消えていきます。受験のときに、どうしてもっと簡単に記憶できないのかと、自分の脳を責めたくなりましたが、簡単に記憶できて永遠に覚えている脳が優秀だとはいえません。そんな脳にバージョンアップでもしたら、おそらく頭がおかしくなって死んでしまうでしょう。楽しいことだけではなく、悲しいことさえもいつまでも鮮明に覚えているから、一度味わった悲劇から立ち直ることが非常に困難になります。つまり、歴史の試験で忘れっぽいのは嫌だけど、人生においては忘れられることこそ幸福なのです。たぶん、「なんでも記憶できて忘れない脳」よりも、「記憶しにくく忘れっぽい脳」のほうが、人間にとっては都合がいいのです。人間の脳の不得意な部分は、パソコンなどが補ってくれるだろうし。
それにしたって僕は納得できませんでした。この延滞率の高さは人としてだめなんじゃないかと、自分に腹が立ってしまうのです。自分の怠慢さを棚にあげて、個人的な要望を言えば、店側のシステムを少し改善してほしいというのもあります。借りた事実をもっと印象づけてくれればいいのです。現状のようなカウンターでの受け渡し程度ではなんの思い出にもなりません。だから、たとえばお祭りの射的のように借りたいDVDをうまく倒すことができたら借りれる、みたいなことにしてくれたら、ひと夏の思い出のように心に刻まれ、ふとした時にスローモーションでその様子が浮かんでしまうくらい忘れられなくなるでしょう。そうでなければ、青い袋を女性からのプレゼント風にして、返却日のレシートもラブレター風の便箋とかにしてくれたら、まるで後輩から告白でもされたような気分になり、確実に忘れられない思い出になるでしょう。正直、無理な注文ですが、僕の脳はもはやそこまでしてもらわないと、一週間前に借りたDVDを思い出せるほど余裕がなくなっているのです。
そんなことをわかっていたので、僕はその日、返却しなくてはならないDVDを車に載せてから家をでました。家の近所にあるその店は、ほぼ毎日通る道沿いなので、どんなに仕事中に忘れようとも、車に乗せていれば帰りに思い出すし、その店の前で気付くはずだとふんでいました。
「今回は、絶対忘れない!延滞しない男になってやる!」
そう何度も心に刻み付けました。そして、収録がおわったの12時過ぎ、車に戻ると横にDVDの袋がおいてありました。
「よし、順調だ!このままいつもどおり帰れば確実に返せる!」
僕はそう意気込んでいつものように帰っていました。信号で止まるたびに袋を確認しては、気持ちを引き締めていました。すべてが、いつもどおりに進んでいました。
「すみません、工事中なんで、ここ迂回してもらえますでしょうか」
赤い棒を持ったおじさんが言ってきました。
「ったく最近多いよな、、、」
年度末だからか、最近はよく道路工事を見かけます。なにかの工事で、家の近くの道も、ある区間だけ通行止めになっていました。しょうがないので僕は、すこし迂回してからいつもの道に戻り、いつも寄るコンビニでいつものようにコーヒーとお菓子を買い、いつものように車を車庫にいれ、いつものように家の鍵を開け、いつものように部屋着に着替え、いつものように原稿を書いて、いつものようにお風呂に入り、いつものように歯を磨き、いつものように寝て、いつものように翌日起きて、いつものように準備をして、いつものように家を出て、いつものように車に乗ると、いつもとは違うため息がこぼれました。
「か、返してない、、、」
昨日のままの状態で、DVDの袋が置いてありました。なぜ返していないのか、昨日の行動を振り返りました。するとすぐに、赤い棒のおじさんのことを思い出しました。
「あのときか、、、」
僕は愕然としました。ビデオ屋さんの前の道、ほんの数十メートルが通行止めになったことで、僕は完全に返却することを忘れてしまったのです。厳密にいうと、思い出すきっかけを道路工事に奪われたのです。そこの道を使いだして3年近くなるのに、そんな工事は初めてでした。よりによって返却を誓ったあの日に通行止めになるなんて、CIAかなにかの組織の陰謀としか考えられませんでした。
「ほんとは昨日の夜返したかったんですけど、なんか通行止めで通れなかったんです、あはは」
「あ、そうですか。えっと、一日延滞なんで、300円になります」
僕の気持ちなんて、誰もわかってくれない。
1.週刊ふかわ |2007年03月11日 10:00
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