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2007年03月04日
第258回「続きはどこで?」
「続きはwebで」という終わり方をするCMが出始めの頃、正直僕は腹が立ってしょうがありませんでした。なんて未消化な広告なんだ、視聴者を馬鹿にするにもほどがある!と、頑固親父のようにイライラしていました。だって、クイズの問題だけ出しといて答えをwebでっていうようなものです。なにもせずにストレスを感じるのは絶対におかしいと思ったのです。そんな切なる願いが通じてか、世の中のCMのほとんどがそのようなに形になりました。皮肉なことに、世間は僕のように腹を立てる人よりも、受け入れる人のほうが多かったのです。「続きはWEBで」といわないまでも、検索ボタンをクリックする画面をテレビで見ない日はないくらい、その類のCMが当たり前になったのです。裏を返せば、CMを見て、ネットで詳しく調べてから購入する、そんなリズムが消費者の間に定着したということです。消費者は、CMを見ただけでは買わなくなったのです。検索をしてからじゃないと、財布を開けなくなったのです。
人類の歴史の中で、今日ほどに検索という言葉を口にしている時代があったでしょうか。いつのまにか、僕たちは検索する生き物になったのです。なぜ検索するのかの答えは簡単で、なにより、失敗したくないからです。買わなきゃよかったって後悔したくないのです。その気持ちは当然昔からありました。でも、この情報が錯綜する現代にこそ、それが難しくなってきたのです。自分にとっていい情報だけを取り入れていきたいのだけど、何を選択すればいいのかわからないのです。だから、後悔しない買い物をするために、気になるものをネットでゆっくりみて、安心して購入するようになったのです。だから、CMを流す側は、いかに消費者に検索させるかが勝負となるのです。
人間は、自分に必要だと思った情報しかインプットされません。しかし、その必要事項は自分の置かれている状況で変わります。つまり、常に必要と感じているものと、ふと必要だと感じるものがあるのです。クルマなんて、買い換えようと思ってる人なんてそう多くはいません。だから、いかに買い換えようっていう気分にさせるかが鍵なのです。あんだけ欲しくて手に入れたモノをいかに不満に思わせるか、なのです。不満と不安を与えて、新しいものを買わせ満足させる、このことの繰り返しなのです。企業はそういうものなのです。でないと、誰もお店にいかなくなってしまいます。当然、そんな心のうちを明かしている企業はほとんどありません。その内面を隠して、うまいことやっているわけです。でも、その内面が時々でちゃっている場合があります。「従来のタイプはここが弱点でしたが、新しいこの商品は、これまでの弱点を克服しました!」みたいなことを掲げているCMが最近ありました。どことは言いませんが、あんなCMは駄目なのです。あなたがあんなに素晴らしいって言っていたから僕たちは高いお金を払って買ったのに、その商品の弱点をいまさら宣告するなんて、ほんとそりゃないぜってことなのです。好きな女性を口説くときは散々自分をアピールしといて、目的が達成されたら「君みたいな魅力的な女性は僕にはもったいない、君にはもっとふさわしい男がいるよ」と、あとくされなく去ろうとする男みたいなものなのです。話がそれているようですが、つまり、愛がなくちゃだめってことです。男女の間にも、企業と消費者の間にも、愛がなくちゃだめなのです。視聴者に対する愛があれば、捏造なんてしないのです。多少なりとも愛はあるだろうけど、それよりも企業の利益を優先させてしまったからいけないのです。企業はいつも、「多大なる愛と、ほどよき不満」を与えないといけないのです。
気分転換に映画でも観ようと、ふらっとレンタルビデオ屋さんにいくことがあります。なにかいい映画ないものかと思っているのに、いくら探してもなかなかこれだというものが見つかりません。僕が観たい映画が一個も置いてないのです。それでなんだかよくわからない映画を借りてくると、途中で観るのをやめ、また今度にしようなんて思うのです。でもそんな魅力のない映画に再び再生させるパワーもなく、結局借りていることさえ忘れ、延滞料金を払って返却する、といういつものパターンに陥るのです。でもそれは、お店の品揃えが悪いわけでは決してありません。お店にそのときの僕の気分にあう作品がないわけないのです。あるのを発見できなかっただけなのです。量が多すぎてなんだかよくわからなくなってしまったのです。
店舗によって多少の違いはあるものの、たいてい五十音順だったり、監督別、俳優別、ジャンル別などにわけられていたりします。でも、ソフトが飽和状態のいま、人はそれだけでは自分の求めているものに出会えないのです。人は、自分がいま何を求めているかすらわからないのです。だから、たとえばニューシネマパラダイスが好きな人がそういった類の映画にも出会えるように、関連映画を横に並べてみるとか、50音順に並んでいても、泣ける映画には目立つように青いステッカーを貼ってみたり、これまでとは違った分類をすることが大切なのです。情報をうまく分類をする人、現代はまさに、そういった選ぶプロが必要になっているのです。でも、ただ分類すればいいってわけではありません。その分類に魅力がなければいけないのです。
さまざまなアーティストたちの名曲を一枚に収めたアルバムが飛ぶように売れることがあります。いい曲を聴きたい、でも特に誰ってわけじゃない、みたいな人たちにはとても手に取りやすいものです。これだけたくさんの商品が氾濫している中で、良質なものを選び、ひとつのテーマで括れる人がもてはやされる時代なのです。新しい作品を作る人も必要ですが、これまでに埋もれてしまった良い作品を探しだす人も必要な時代なのです。そういったコンピレーションアルバムにも、売れるもの、売れないものの差が出るのは、その分類の仕方に魅力があるかどうか、なのです。漠然とした気持ちでなんとなく立ち寄ったお客さんに、「あなたの求めていたのって、こんな感じのじゃないですか?」と差し出して、「うん、なんかこういうの求めてたかも」と思わせたら勝ちなのです。作るひとも、選ぶひとも、どちらもアーティストなわけで、そういう意味では、コンピレーションアルバムがゴールドディスクとして選ばれる日も遠くないかもしれません。
映画に関しても、やがてはコンピレーションDVDとしていくつかの映画がはいったものがでるかもしれません。曲がひとつ5分に対し、映画は120分だから困難だとしても、お店の棚にそれを作ればいいのです。「日曜日のけだるい午後におすすめ」というコーナーがあったり、「眠れぬ夜に」「ストレス発散!」みたいなくくりのコーナーがあるのです。「全米ナンバー1」という言葉が日本人の心に響かなくなったいま、「全米が馬鹿にした映画、日本上陸!」とかいうほうが、むしろ観たくなるのかもしれません。こういった世の中の風向きをしっかり理解したうえで、どのようなテーマ・イメージを掲げるかが大切なのです。
ファッションデザイナーとスタイリストの関係のように、情報が蔓延している現代では、新しい作品を作るのと同じくらい、既存の作品から時代にあったものを選びだす作業も、立派なクリエイティブなことなのです。これは決してコンピューターにはできない、人間の感性なのです。それでは、この話の続きはwebで。
1.週刊ふかわ |2007年03月04日 10:30
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