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2007年01月21日

第253回「ミッキーのいないディズニーランド〜後編〜」

 ということで向かったブリュッセルは日本からの直行便がなく、僕はドイツからはいりました。年々十何時間に及ぶ飛行時間が短く感じてくるのは、やはり見えない分母(第166回参照)が大きくなっているからでしょうか。ヨーロッパ気分を味わう気満々で飛行機を降りた僕をまず迎えてくれたのは、巨大な「TOYOTA」の看板でした。実際、世界のいたるところで見かけます。確かに世界のトヨタですが、もう少し空気を読んでくれると助かります。そして空港でもうひとつ気付くのは、公共の案内が、仏・蘭・独・英の四ヶ国語で表記されていることです。国のおもな言語としては、ベルギー語というのはなく、地理的環境からフランス語とオランダ語とドイツ語で、たいていの人が英語も話します。実際、ブリュッセルからは、ロンドンもアムステルダムもパリもケルンも、鉄道で2,3時間で行けてしまう位置にあり、以前習ったEUの本部がおかれていることも、そういった地理的・言語的な要因かもしれません。ホテルの番組をみても、なんとなくなにをやっているかわかったらイギリスの番組、たまにききとれるのがフランスの番組、ほとんどわからなかったらオランダかドイツのそれといった感じで認識していました。そんな環境の中で僕は、15年前の受験で培った英語の残りわずかな貯金でどうにかやりくりしなければならず、非常に緊張感のある英会話をしていました。でも、どうにか単語を並べて相手の目を見て、心が折れさえしなければなんとかなるものです。

 ブリュッセルを訪れたのなら絶対に行かなくてはならないのが、グランプラスという広場です。この場所を、ユーゴーは「世界で最も美しい広場」と言い、ジャン・コクトーは「豊饒なる劇場」と称賛しました。チェックインを済ませた僕は、さっそくグランプラスを目指しました。石畳の上を歩き、人の多いにぎやかな通りを抜けると、僕の想像を超えた幻想的な世界が待っていました。21世紀の偉大なヘルシーDJは思わず、「ミッキーのいないディズニーランドだ」と称賛したのです。ちょうどその時は、通常のライトアップだけでなく、音楽と光のショーみたいなのがやっていて、そのまま現実から遠のいていくような感覚になりました。

 そのグランプラスを中心として、ロマンティックな街並みがひろがっています。パリを光の街と呼ぶ人がいるように、ヨーロッパの街はいつもあたたかな光に照らされています。ヨーロッパの人々は、内装こそリフォームしているものの、外観はかつての姿のままに、古くから残る建物をそのまま利用しています。建て替えることはせず、光を浴びせることによって彩を添え、現代的なモニュメントにしているのです。お店なども古い建物のなかにあるので、いってみれば、京都のお寺の中にジャスコや高島屋があるようなものでしょうか。それは、地震がないからできることもありますが、歴史に対するリスペクトもあるでしょう。昔があるから現代がある、ということかもしれません。蛍光灯ではない無数の光が、冬の寒さをやわらかく感じさせてくれるのです。

 かの偉大なヘルシーDJは「ミッキーがいない」と言いましたが、その代役を務めるものはいます。ブリュッセルというディズニーランドには、ミッキーこそいないものの、「小便小僧」がいるのです。そのレプリカは世界中にあり、日本でもCMなどでおなじみですが、これはそもそもベルギーのものなのです。ミッキーの代わりといっても、街中をうろうろしてみんなと握手するわけでも、パレードをするわけでもありません。ただ、街の一角で静かにおしっこをしているだけです。現在あるのは、1619年に作られたもので、その実物の小ささにがっかりする者も多く、マーライオンなどと並ぶ、世界3大がっかりに指定されているようです。僕の中ではそのような感情にはなりませんでしたが。

 そもそもこの小便小僧というのはなぜ有名になったのかというと、その由来はいくつもあるそうで、「敵軍に包囲されたブリュッセルの王子が、投げ込まれた弾薬の導火線におしっこをして国を守った」という説が、個人的には好きです。過去に、盗難されたことが原因でデモが怒ったほど市民の間では愛されていて、いまでは全裸の彼のために世界中から衣装が贈られているのです。タイミングがよければ、その衣装を着ておしっこをしているときもあるようで、そうするとかわいさも倍増するでしょう。

 彼と写真を撮り、最寄りのおみやげやさんで購入した置物を、さっそく部屋に飾っているのですが、いまだにどうしても納得のできないことがあるのです。それは、なぜ「小便小僧」と訳したのか、ということです。現地の表記では「MANNEKEN PIS」(ドイツ語かな)、つまり「マネキン人形」と「おしっこ」という組み合わせで、直訳すれば「おしっこ人形」といったところでしょうか。現地では、その王子の名前から「ジュリアン君」「ジュリアン坊や」と呼ばれているそうです。にもかかわらず、誰が訳したのか知らないけれど、「小便小僧」とはまったく愛が感じられません。それじゃ、国を守った功績はなく、単なるいたずら小僧、問題児的な印象を与えてしまうだけなのです。僕だったらせめて「おしっこ坊や〜わが国を救った勇気ある少年〜」にしてたかなと思うのです。そうしたら、日本での彼の印象も多少は違ったのではと思うのです。ちなみに、世界中から贈られた衣装を着ている「ジュリアン君」を見れる博物館もあり、そのなんとも着せられてる感じが面白いです。実際日本からも、鎧兜や、桃太郎などの衣装がおくられていますが、どの衣装を着ても、必ずおしっこをしているところがかわいいのです。

 そしてやはり、ベルギーというと、思いつくのがワッフルでしょう。「足乳根の母」の枕詞のように、ベルギー・ワッフルという言葉は日本でもすっかり定着していますが、現地では原宿のクレープやさんのように周囲に甘い香りをふりまくワッフル屋さんが多く見られるのです。あの香りを嗅いでしまうと、その気はなくても食欲がわき、「今日もいっとくか」と毎日食べてしまうほどです。上にチョコやイチゴを乗せたりするものもあるのですが、できたてのワッフルはこれまでの自分の中でのワッフルの歴史を変えるほどの衝撃的美味でした。やはりなんでもできたてですね。そしてもうひとつ多く見かけたのが「フライドポテト屋さん」です。ベルギーではなぜか「フライドポテトの国」という自負があるようで、街のいたるところでポテトのマークを見かけるのです。実際僕が食べた店は、マクドナルドとモスバーガーのポテトの中間くらいの大きさで、本場?だけあってやっぱりおいしかったのです。だからワッフルとポテトはなんだかんだ毎日食べてました。また、ワッフルとポテトだけでなく、美食の国といわれるだけあって、ベルギーの料理はとても緻密・繊細でおいしいです。フランスに近いこともあり、フランス料理と味が似ているのでしょう。海外にいくと避けられないのが、言葉の壁と食の壁です。時折、「あの国、飯がちょーまずくてさぁ」みたいなことを耳にしますが、「まずい」という言葉は僕は適していないと思いますが、「日本人の口にあわない」ことはよくあります。食も文化ですから、日本人が食べて合わないものがあるのは当然で、世界中どこにいってもストライクな食文化のほうが気持ち悪いのです。だから、ヨーロッパの気分を味わうとは思いつつも、これまでの教訓を活かし、しっかり日本食代表として、カップヌードルを持参していたのですが、その出番もなかったほどに、今回は食に困らなかったのです。

 食でもうひとつ有名なのは、チョコレートです。コージーコーナーのような感じのチョコレート屋さんもあれば、骨董品屋さんのような店構えのチョコレート屋さんもあります。中でも、「ピエール・マルコリーニ」というまるでシャンパンかワインかのような名前のチョコレート屋さんは、シャネルとかの有名ブランドのお店のようで、ヴィトンのバッグのようにチョコが並び、ティファニーの指輪のようにチョコが並んでいました。たしかにそこのチョコレートは他のとは一味違う、と言わないといけない感じもしますが、僕の味覚力からすれば、どこのもおいしかったです。

 ここまで書き綴ってきたことは、言ってみれば一泊二日もあれば経験できることです。じゃぁほかの数日間はどうしていたのさ、オランダはどうなのよ、ということですが、それは心のブログにしまっておきたいと思います。(心のブログ?)おそらく今後、なにかのときに表面化されると思うので。ただ、今回三度目となったヨーロッパ旅行で強く感じたことは、「やっぱり俺の前世はこっちの人だわ」ってことです。何回前の人生かはわからないけど、ヨーロッパを訪れたときの安心感とフィット感(そばを食べたいときにそばを食べた感じ)は、かつてそこで暮らしていたとしか思えないのです。絶対そうなのです。そう思わせてください。ということで、2007年もよろしくおねがいします。

P.S.
週刊ふかわ単行本化に向けた読者アンケート、時間があったらご協力お願いします。

1.週刊ふかわ |2007年01月21日 10:00

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