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2006年12月03日
第248回「ビリーにくびったけ」
基本的に出不精で、よほどのことがないと足を運ばない僕が自らぴあに電話をしてチケットを取るほどなのだから、僕にとっては相当な人なわけです。いまも聴いている、というよりは、青春時代に聴いていたから、もはや殿堂入りしていて、彼のアルバムは他とは違うところに保管してあるのです。さらに彼はピアノのアーティストだから、より一層に愛着があり、今回の公演は、見に行かないわけにいかなかったのです。
そもそも僕が彼のサウンドに出会ったのは小学生の頃でした。やはりこれも兄の影響なのですが、我が家のゴールデンタイムは、テレビ神奈川のビルボードのチャート番組が流れていたのです。しかも当時は室内アンテナで異様に映りの悪い状況でした。兄とのチャンネル争いに負けていた僕は、番組自体には興味がなくっても、そこから流れる音楽には体が勝手に反応してしまうようで、小学生の僕でも「いい曲だなぁ」と思うものも少なくなかったのです。そのひとつが、「アップタウンガール」でした。それは、彼にしては珍しく明るいアップテンポの曲なのですが、彼の名前こそ知らないものの、その曲が流れると異様にテンションがあがっていたのを覚えています。それが、僕とビリージョエルとの出会いでした。もう20年以上前のことです。そして、その後も彼はヒット曲を連発し、日本でもラジオから「オネスティー」が流れ、CMでは「ストレンジャー」が使用されたりと、おそらく「ビリー・ジョエル」の曲は日本中に響き渡っていたのです。僕がこれまでピアノを手放さなかったのは、彼への憧れというのも否めないでしょう。僕の体内には、20年前からビリーのサウンドが流れているのです。
「ポールは何年前だったかな...」
ポールのときが、それはもう大変なことになっていたから、今回は大量のポケットティッシュをポケットにつめこんで、車を降りました。地下駐車場から地上に出ると、ポール以来の東京ドームは、冷たい風が吹き付けているものの、多くの人たちであふれていました。やはり目立っていたのは、スーツを着た大人たちで、青春時代にビリー・ジョエルにはまった人たちが、会社帰りに集合している感じでした。
「これだと、泣かないな...」
自分の席に辿り着くと、ステージを正面にしているものの、予想以上に遠く、きっと感情移入できなくて泣くまではいかないのではと思っていました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。開演の7時を少し過ぎるとドーム内が暗くなり、しばらくして突如ピアノの音が鳴り響くと、場内が沸きました。そして、巨大スクリーンに彼の顔が映し出されるとさらなる歓声に包まれました。
「これは、やばいかもしれない...」
どうにか表面張力で耐えているものの、それも時間の問題でした。彼が歌いはじめるともう涙上昇してくるのがわかりました。そして、一曲目のサビでもはや堤防は崩壊しました。これは、涙腺のゆるさの問題ではなく、小さいころから聴いていた音楽がいまあらたに体内に流れ、それは、悲しみとか幸福とかを超越した感情が、涙というカタチになってあふれてくるのです。
「これはまた2時間コースだ...」
ポールのときも結局最初から最後まで肩をふるわせていました。次から次へと流れるナンバーに、僕の体はおかしくなってしまいそうでした。僕は、米粒のように見える生の姿と、大画面に映る彼の表情を頭の中でうまく編集してライブを楽しんでいました。
そして、彼がピアノの前に座り、ハーモニカを首にかけると、場内はそれまでとまた違った雰囲気になりました。誰もが、ついに来たと思いました。「上を向いて歩こう」をジャジーに弾いて和やかな空気にしたのちに、あの名曲のイントロを弾き始めると、なんとも言えない緊張感とどよめきが起こりました。この曲は、彼がまだ全然無名な頃に、ニューヨークのピアノバーで弾き語りをしていた当時のことを歌った曲で、もっとも愛されている曲かもしれません。
「聴いていたい!でも歌いたい!」
おそらく皆そんな気分だったでしょう。でもやっぱり気持ちが抑えきれず、歌わずにはいられませんでした。気付くと全員で「ピアノマン」を歌っていました。ひとりの海外のアーティストの歌が日本人に愛され、自然に歌えるということは、どんなに素晴らしいことなのでしょう。音楽の力、そして音楽が国境をこえていく瞬間を目の当たりにしました。ピアノをやっていてよかったとも思いました。そしてなにより、ポケットティッシュを多めに持ってきてよかったと実感しました。ポール以来の東京ドーム、僕がこんど訪れるのは、誰のときなのでしょう。
1.週刊ふかわ |2006年12月03日 10:00