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2006年11月26日

第247回「七色の旗」

「ETCをつけるような男にはならない!」
僕はその機械が登場したとき、そう心に決めました。ETCというのは、高速道路などの料金所における、センサーによる料金支払いシステムで、それがあると停止せずに通過できるという、まさに近未来的な設備のことをいいます。これによって料金所での渋滞を解消し、警備などにも役立つわけです。これほど便利な機械に対し、僕がなぜ拒絶するかというと、カーナビを搭載していないのと同じ理由が挙げられます。まず、そこまでして機械に頼らなくってもいいだろ、ということです。確かに便利だけど、別に今のままでもそんなに不自由じゃないのだから、むしろ人間の怠慢さの表れだ、なんて思ってしまうのです。もうひとつは、自分が見張られているようで嫌だ、ということです。センサーで反応することが、どこか大きな組織の管理下におかれているような感覚になり、束縛されている気分になるのです。だから、僕はカーナビが登場したときも、「俺はカーナビを搭載するような男にはならねぇ!」と決心し、いまだに古い地図をいちいち開いては、集合時間に遅刻する、という日々を送っているのです。それほどまでに、日常生活における機械の侵略に対して常に警戒をはらっている僕だから、ETCが登場したときに拒絶反応を起こすのも無理はなく、周囲がスイスイETCのゲートを通過していくのを尻目に僕は、料金所にさしかかると、車内のあらゆる窪みから小銭を集め、しっかりと停止して料金を支払っているわけです。
料金所で働く人たちは比較的年配の方が多いです。おそらく、定年後の再就職先として紹介されたりするのでしょう。高齢な方の中にも、とても元気に挨拶してくれる人がいたりして、一台一台にそう声を掛けているのかと思うと、ほんとにお疲れ様です、と頭があがりません。人によっては、「あれ、どっかで見たことある顔だね」「あら、見てるわよ、がんばってね!」などのような暖かい声を掛けてくれることもあります。だから僕は、そんな料金所の人々を裏切りたくないというのもあって、断固としてETCを搭載しないことを決意していたのです。しかし、時代の流れは残酷なもので、最初は料金所の端にあったETCのレーンが次第に頭角を現し、国会での議席数を増やすように、ETC党の席が徐々に増え、いまでは現金で支払うレーンが端に追いやられ、あからさまにETC利用者が優先されるようになりました。完全にETCが与党になったのです。しかも、ETC車には割引制度があったりと、喫煙者のように、なぜだか肩身の狭い思いをするようになってしまったのです。おかしな話です。楽をしている人が優先されて、いままでどおりの人のための場所が少なくなる。これではむしろ、喫煙者を優遇し、非喫煙者を外へ追いやるようなものです。いずれにせよ、駅に自動改札なるものが登場したときはそれほど感じなかったのに、このETCの普及になるとどこか寂しい感情が生まれたのは、改札の人が無表情で言葉を発さなかったのに対し、料金所の人とは言葉を交わすコミュニケーション、つまり人間の温度があったからかもしれません。
「えー、みなさんの耳にも多少はいっているかもしれませんが、今日からこの料金所にも、ETCが導入されることになりまして...」
ある朝のことでした。
「6レーンのうち、半分の3レーンがETCになるため、人件費もいままでの半分でまかなえるようになりました。それに伴い、これから読み上げる者は本日をもって...」
ETCの導入によってカットされた者の中に、藤村がいた。藤村は定年退職した後にどうしても働きたく、知人の紹介でいまの料金所の仕事に就き、もう7年が経とうとしていた。
「藤村さん、長い間おつかれさまでした。今日はお昼で帰っていいですからね」
「な、なんでじゃ...」
「午後からはETC専用になりますので、藤村さんは午前中で終了となります」
「わしは...わしは明日からどうしたら...」
「もしよければ来ていただいても結構ですが、とりあえずゲートでの業務は今日で...」
「そんな、急な...」
「ちなみに、いまのところは半分ですけど、あと何年かしたら全部がETCになるかもしれないですからね。皆さんにはお気の毒ですけど...」
藤村は言葉を失った。

「ほら、おじいちゃんいるかな?」
藤村には愛する孫がいた。息子夫婦の車が料金所を通るたびに、藤村は窓からのぞく孫にお菓子を与えていた。それが、料金所で働く藤村の一番の楽しみでもあった。
「亮太、今日はおじいちゃんなにくれるかな?」
藤村はいつも、どの場所にいるかわかるように、七色の旗をたてていた。
「あれ、旗がないわね、どうしたのかしら」
「おかしいな、出勤してるはずなんだけど...」
「おじじは?ねぇおじじは?」
亮太は藤村のことをそう呼んでいた。
「おじじはねぇ、今日はいないみたい」
「おじじは?ねぇ、おじじは?」
息子夫婦は藤村が料金所にいないことが少し気になった。

「えっ、今日で終わり?なんでまた急に?!」
「それが、ETCとかなんとかいう機械が設置されたみたいでね...」
藤村の妻である房江が、お茶をいれながら言った。
「おじいちゃん、だいじょうぶ?」
「わしは...わしは...あんな機械には負けん!」
「おじいさん、怒ってもしょうがありませんよ。これからはゆっくり休めるじゃないですか」
「わしは...わしは...人の役に立ちたいんじゃ!!」
「おじいちゃん...」
しかし、その日から藤村が料金所に立つことはなかった。

「おじじは?ねぇおじじは?」
それから数ヶ月後のことだった。
「亮太、もうおじじはいないんだよ」
「おじじはね、あの遠いお空の上にいるのよ」
「いやだ!おじじからお菓子もらう!おじじのお菓子たべたい!」
「亮太...」
「世間の車はみんなETCつけてるけど、うちは、つけないでいような...最後の最後まで...」
「うん...」
亮太は、七色の旗を手にし、遠ざかる料金所を後ろのガラス越しに眺めていた。
どこかでこんなことが起きているかと思うと、胸が痛くてETCを搭載できなかったのです。おじじのためにも、僕は、あくまで人のいる料金所を通過したかったのです。
そんな僕の車に、もうすぐETCが搭載されることになります。あんなに頑なに設置するのを拒んできた僕が、遂にETCを搭載することに決めたのは、決して便利さに心が揺れたからでも、時代に流されたからでもありません。あくまでも気晴らしです。気晴らしに散歩をするように、気晴らしにETCをつけるのです。でないと、おじじをはじめ、全国の料金所のおじいちゃんたちを裏切ることになってしまいます。
「決しておじじを裏切ったわけではない。料金所のおじいちゃんたちの笑顔を無駄にしたわけではないんだ!」
いくらそう心にいいきかせても、それでも僕の心は痛みます。
「では、来週の水曜日にお待ちしてますので...」
ETCを設置する日程を決めたとき、まさに人間が便利さに溺れ、堕落してゆく瞬間を、身をもって感じました。こうやって人は便利さに振り回され、時代に流されていくのです。
「昔は料金所でいちいちとまってたんだよ」
「へーそうなんだ。パパの時代は大変だったんだね!」
なんて会話がいつかおとずれるのでしょう。料金所に人がいたことも、そしておじじがいたことも、みんな忘れてしまうのでしょう。時間は、ときに残酷で、時代はときに犠牲を生みます。こうしてまたひとつ、地球から大事なコミュニケーションが消えていきました。

1.週刊ふかわ |2006年11月26日 10:00