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2006年11月19日

第246回「若気の至り」

はやいもので、「かくし芸」という言葉がきこえてくる時期になりました。とくにうちの事務所は、このお正月恒例番組をたちあげてきたので、ここに対する思いは熱く、会社あげての大イベントという感があります。なので、今くらいの時期になると、誰が何をやるだとかの話が随所で持ち上がるのです。

そんな環境もあって、強い印象こそ与えていないものの、僕自身もなんだかんだ毎年出演しています。集団の中のひとりだったり、誰かのサポート的な感じで。ただ、この「かくし芸」という言葉をきくたびに、僕の古傷がじんじんとうずくのです。心がちくちく痛むのです。それはまだ、僕が20歳の頃のことでした。

高2のときに決心したとおり、僕は20歳になってから芸能界の門を叩きました。決意通りに、20歳の誕生日を迎えると、まずその門を探すところからはじめ、あらゆる門を手当たりしだい叩き、「どうぞ」と開けてくれたのが、いまの所属事務所であるワタナベエンターテインメント(当時渡辺プロ)だったのです。ただ、このはいった、というのは幻想にすぎず、決してその段階で契約が交わされているわけではなく、当然なんの保証もされていません(それは今も同じですが)。事務所主催のお笑いライブに出演するためのオーディション(ネタ見せ)に通うだけなのです。だから、所属というよりは、勉強会に参加しているという色が強いのです。とはいうものの、参加が自由かと思えばそうでもなくって、一度通い始めたら、なんとなく登録っぽい雰囲気になり、契約はしてないんだけど、どこの事務所かといえばうちだから、的ななんともいえない微妙な関係になるのです。その後ライブに出続けて、テレビなどでの出演が安定してくると、正式な契約が交わされ、宣伝材料の写真を撮影し、入り口の壁に飾られ、所属タレントっぽい感じになっていくのです。そんな段階になるずっと前に、事件は起きました。

「ということで明日の日曜日、うちの事務所が制作するかくし芸大会の収録に、みなさんに手伝ってもらうことになりました」

ネタ見せが終わった会議室に集まっている名もなき若手たちを担当する平田マネージャー(仮名)は、ホワイトボードの前で説明していました。

「詳しくは明日話しますが、簡単に言うと、顔面を白く塗って、全身シロタイツを着て、背景のオブジェになってもらいます」

当時、フジテレビがまだお台場ではなく、曙橋駅の河田町というところにあったときでした。

「朝、6時集合なので少し早いですが、現場になれるためにも非常に意味のあることなので、ぜひ参加してください。もし都合が悪い人がいたら言うように」

そう言って、その日のネタ見せはおわりました。まだタレントでもなんでもない若手が収録に呼ばれたら、その役がなんであろうと、それがオブジェであろうと葉っぱであろうと、二つ返事でやるのがあたりまえです。しかし、当時の僕は違いました。

「お疲れ様でした!」

みんなが部屋を出ていくと、僕は平田マネージャーのところへ行きました。

「どしたふかわ?」

「あの、明日のことなんですけど、、、」

「朝6時な。遅刻すんなよ」

「いえ、あの、、、」

「なんだよ、どした?」

「明日、、、僕いけません!」

「なんでだよ、バイトか?」

「いえ、バイトじゃないです」

「デートか?」

「いえ、デートでもなくって」

「じゃぁ、なんなんだよ。ちゃんと理由をいいなさいよ」

すでにイライラしている彼に言うことをためらいましたが、口が勝手に動きだしました。

「明日の仕事って、言ったら誰でもいいことですよね」

「まぁ、そうだなぁ」

「学生のバイトでもいいわけですよね」

「そうだよ、それがなにか問題ある?」

「だったら、僕はいいです!」

「いいですって、参加しないってこと?」

「はい」

「お前なにいってんだよ、そんなこと言ってたら一生仕事こないぞ」

「でも、これだって、僕にきた仕事ではありませんから」

「そりゃそうだけど、最初はそういうもんなんだよ!」

「僕は、オブジェをやるためにこの世界にはいったんじゃないです!」

おそらくそこまでは言ってないと思いますが、そんなニュアンスのことを言って、担当の平田氏を呆れさせました。そして翌日、結局僕は収録には行かずに、一日中そわそわしながら過ごしただけでした。

たしかに、全身白タイツで顔を真っ白にして、おまけに背景ときたら、誰がやっても同じです。しかし、だからといって自分のことだけを考えていたらだめなのです。普通、そんなことを言う若手は、「あいつ何様なんだ」とまず事務所にいられなくなります。あの頃は若かったから、ナイフの刃先のように、相当尖っていたのでしょう。そんなことを言っていた僕がいまこうして、この番組の収録にのぞめるのも、ある種奇跡的なことなのかもしれません。

自分のやりたいことも大事だけど、自分を貫く強さの前に、周囲のために尽くす柔軟性も必要なわけです。自分のやりたいことなんて、そうカンタンにできるものじゃなくって、ひとのために尽くしてこそ自分のやりたいことを追求する資格がもてるのです。自分らしく生きることは、自分勝手に生きることではありません。周囲のために生きなければきっと、自分らしく生きることなんてできないのです。あれから12年、僕もこんな風に考えるようになりました。芸能界もわるくないです。

PS:ツアー表には記してませんが、来週の水曜日に福山のBACUというクラブでイベントをやります。お近くの人はぜひ遊びにきてください。

1.週刊ふかわ |2006年11月19日 10:00