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2006年10月29日
第243回「キモインブルー・ラプソディー」
「30万?!」
おもわず口から飛びだしそうなところを、どうにか食い止めました。
「フォルクスワーゲンのいい店があるんですよ。そこの池谷さん(仮名)って言う人がすごく親切で、いろいろわがままきいてくれるんですよ!」
5年ほど前、僕の心の中が黄色いビートルでいっぱいだったとき、知人の紹介で都内の販売店を訪れたのが、池谷さんとの出会いでした。とても恰幅がよく、たしかになんでもわがままをきいてくれそうな印象を受けました。
「じゃぁ、オーディオはこれをつけてもらって、あと車全体をコーティングしてもらって、で、全部込みでこれくらいの値段だったらいますぐ決心できるんですけど...」
いずれにしても購入する気まんまんだった僕は、見ようによっては恐喝に近い形で池谷さんにわがままをぶつけてみました。
「うーん、そうですねぇ...まぁ、僕のほうでなんとかします...」
この「僕のほうでなんとかします」というのが彼の口癖で、その後何度となくその言葉をきいてきました。そんな、僕の要求に応えてくれる彼は、何でも夢をかなえてくれるドラえもんのようでした。体型的にもふくよかで、まさにメガネをかけたドラえもんでした。
そのドラえもんが、ある日突然、激ヤセをしたときがありました。いまでこそ多少戻ってきたからいいものの、そのあり得ない病的な激ヤセ加減は、当時はなんて声をかけていいかわからない程でした。とてもまんまるとした大根が、もやしのようになってしまったのです。久しぶりに会ったのでおそらく徐々に痩せていったのだろうけど僕にとってはある日突然の激ヤセだったのです。
「いやぁ、なんか痩せちゃいましてね...」
と言って笑う姿が、逆に痛々しく見えました。お客さんたちのわがままをききすぎてそうなってしまったのかもしれません。以前はほっぺたで支えていたメガネもずり落ちていました。
しかし、激ヤセしても営業力は衰えていませんでした。その日、僕が店内に置いてあったカブリオレ(屋根がオープンするタイプ)のパンフレットをパラパラめくっていると、遠くにいた彼は、その様子を見逃しませんでした。レンズの向こうの瞳はしっかりキャッチしていたのです。その数日後、自宅のポストにしっかりとその見積もり書が届いていました。しかも当時、ほかの書類の郵送をお願いしていたのに、その優先順位を壊してきたので、その営業魂には驚かされたものです。
「いやぁ、煙が出てきたときはどうなるかと思いましたよ」
黄色い車をJAFの担架に乗せ、修理にやってきた日のことでした。
「とりあえず、工場に持って行っていろいろ見ますが、おそらく3日くらいでお戻しできると思いますんで...」
「そうですか、わかりました...」
「では、いま代車持ってきますんで、ここで少々お待ちください。今回はいつものと違うんですけど...」
その言葉で僕は、あることを思い出しました。というのも、以前、紹介してくれた知人がこんなことをいっていたのです。
「いま代車なんですけど、もう最悪なんですよ!」
普段はあまり愚痴をこぼさない彼の口から、代車に対する不満があふれてきました。
「うしろのトランクの支えがおかしくって、荷物いれようとしたらうしろからガーン!ってぶつかってきたんですよ!それに、ブレーキもあんまり効かないし...あとなにが嫌かって、色なんですよ。なんていうか、気持ち悪い青なんですよ!もうこれは罰ゲームですよ!」
僕自身、代車を借りたことは何度かあったのですが、ほかの車だったので、それほど親身にはきいていませんでした。しかし、池谷さんの「いつもと違う」という言葉が少しひっかかったのです。
「まさか、あの車じゃないだろうな...」
しばらくすると、僕の代車が登場しました。池谷さんが乗ってきたその車は、まさに青色をしていました。気持ち悪いとは言わないまでも、たしかにあまり心地よくない青色でした。
「ついに引いてしまったか...」
ババ抜きのジョーカーを引いてしまった感覚でした。普段は愚痴など言わない知人さえをもうならせた車が、僕の目の前にありました。
「すみません、あまり綺麗ではないんですけど...」
「あ、全然いいですよ...」
とは言いつつも、どうにもテンションのあがらない車でした。言っていた通り、ブレーキのききも悪く、内装も若干具合の悪い感じで、あまり率先して乗らないだろうと思われました。
「もうこれは、罰ゲームですよ...」
知人の言葉が頭の中でリフレインしていました。男にとって車は、時に彼女のような存在で、かわいくない女の子と歩きたくないのと同じように、気に入らない車には乗りたくないのです。だから、一日も早く、この気持ち悪い青色の車、絵の具ならキモインブルーの車から脱却したかったのです。
「30万?!」
僕は必死に平静を装いました。
「申し訳ないんですが、どうやらそれくらいかかってしまいそうで...」
その金額は、僕の修理代の予想をはるかに上回っていました。
「ちなみにですけど、こういう場合保険って...」
「それが、事故じゃないんできかないんですよ...」
一寸の光が完全に閉ざされました。
「わかりました...しょうがないですもんね...」
「それで、日にちなんですけど...」
そのトーンからは、嫌な予感しかできませんでした。
「それが、もう少しかかるみたいで...」
車を修理にだして2日後のことでした。電話を切った僕は、思いっきり泣きたい気分でした。金額はもちろんですが、なによりキモインブルー生活がまだ何日も続くかと思うと、本当にテンションがさがりました。
「この際なんで、新車っていうのもありだとは思うんですけどね、あははは」
冗談交じりに言うドラえもんの目は、きっと笑っていなかったでしょう。数日後、ポストにはまた新車の見積もりが届いていました。
すべては、浮気の代償でした。僕がほかの車に気をとられているから、こんなことになったのです。でも、こんな目にあっても、僕の気持ちは揺るぎませんでした。なぜなら、そのアメ車でしたいことがあるからです。それに関してはまたいつか話しましょう。
1.週刊ふかわ |2006年10月29日 10:30