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2006年07月16日

第229回「部屋とYシャツと私と」

「じゃぁ次は、マイセレナーデ!」

学生時代の彼女にカラオケで平松愛理さんの曲を唄ってもらうほど、僕は平松さんの曲が好きで、なかでもそのハッピーなメロディーと、かわいくて奔放でしたたかな女心を綴った歌詞はもちろんのこと、あまりにキュートな唄声が僕の心をぎゅっと掴んだわけです。だから彼女に平松さんの曲の世界を理解してもらおうと、車内で流すだけでなく、カラオケに行くと必ず唄ってもらっていたのです。そんな若気の至りも今はいい思い出となり、彼女は既に別の男と結婚して子供もうまれ、バラエティー番組の「昔の恋人登場!」的なことも一切断って、もう一生僕の目の前に姿を現すこともなく、幸せな家庭を築いていくのでしょうが、それはそれとしてとにかく平松愛理さんと、その楽曲の中に登場する女性は、学生時代の僕にとってまさに理想の女性像だったわけです。

「では、そろそろはじめましょうか」

その平松さんがレコーディングブースの中にいるわけだから、僕としてもしっかりしようと努めるものの、声もルックスもあまりにキュートなのでついみとれてしまっていました。前回の鈴木康博さんがジョンとポールのどちらかならば、平松さんはそのコケティッシュなキュートさという意味で、僕にとってのシンディー・ローパーでした。それくらい大きな存在なのです。今回アルバムに参加してくれたアーティストの皆さんと写真を撮っていたのですが、平松さんの写真だけなぜか異様に多かったことは、僕のミーハーな気持ちを証明しました。

鈴木康博さん、平松愛理さんのほか、今回参加してくれたのは、土岐麻子さん、一十三十一(ヒトミトイ)さん、甲斐名都さん、コオロギマリさんです。土岐さんはだいぶ前にやっていたラジオにシンバルズとして来てくれて、そのかわいらしい声とルックスに完全に魅了され「この人といつか必ず!」と思っていたのです。ヒトミさんは、以前から、とても唄がうまいという印象があったのですが、今回の曲の中に、その独特のせつない声がはまりそうな曲があったのでお願いしました。甲斐名都さんは事務所の後輩なのですが、これまで何度か生の弾き語りなどを聴いたことがあって、「是非この人にも参加してもらおう!」と勝手に思っていたのでした。コオロギマリさんは、以前音楽番組で知り合い、一緒にライブをしたりデモテープ作りに協力もらったりしていました。なのでどこかでちゃんとカタチにしたいと思っていたのです。でもなりよりその名前のインパクトでしょう。一度聴いたら忘れられないその響きは、ある種彼女の才能の一つかもしれません。

いまこうしてあらためて見ると、女性アーティストは皆キュートな声の持ち主ばかりです。しかしただキュートなだけでなく、どこかにせつなさが流れています。こういったアーティストの方たちとアルバムは作られたわけですが、その中で感じたことがありました。それは「情熱を注げばおのずと出会える」ということです。

「出会いは大切だ」とよく耳にします。だからと言って、周囲ばかり気にしていても、いつまでたっても出会えない気がします。周囲を気にするよりもむしろ、自分のスタイルを貫くことで、必ずや尊敬する人、頭の中に登場する人物と出会える気がするのです。だから、もしも僕の音楽に対する情熱が足りなかったら、きっとこんな素敵なアーティストの方たちと共にアルバムを作れなかったのです。自分を追及していくと、「出会いが大切だ」とか言ってなくても、自然と様々な人々と出会うものなのです。やはり結局はここに辿り着くわけです。自分自身を見つけること、これがすべての始まりなのです。自分が何を表現したいのか、自分とは一体なんなのか、それを避けてやみくもに突き進んでも良い結果は生まれません。たとえ世界にひとつだけの花だとしても、それが何色なのかわからなければ意味がないのです。どんな色でどんなカタチでどんな匂いなのか、自分でそれを発見できなければ、世の中はその花の存在に気付いてくれないのです。ただそれは考えてわかることではなく、一生懸命生きていると、あるとき鏡に映るのです、自分の姿カタチが。そのとき辺りを見渡すと、あなたのために咲いてくれている花が見つかるのです。あなたのスタイルに賛同してくれる人たちなのです。

人類は進歩なんてしていないのです。ただ環境を変えているだけなのです。自分たちに都合のいいように、環境を変え、やるべきことを機械に委ねているだけなのです。部長も課長も係長も、だれが偉いとかじゃないのです。それは、部屋の色が違うだけ、環境が違うだけなのです。だから、どの時代に生きていても大切なのは、その環境の中で自分らしく生きているか、ということなのです。そんな価値観で生きていると、人類は平等だと思えるのです。たとえどんな状況にあっても、自分を見失わないでいること、物質的に飽和しているこれからの世の中を生きていくために必要なことなのです。このことに関してはまたあらためてしっかりと話しましょうか。あ、ちなみに平松さんの曲は「部屋とYシャツと私」で、最後の「と」はありませんので。

1.週刊ふかわ |2006年07月16日 10:00