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2006年07月09日

第228回「愛と海と憧れと」

その日僕は、ある人のライブを観るため、鎌倉に向かっていました。前々から行くと決めていたのではなく、ライブがあると知った当日、行こうと決めたのです。あまりライブに行く習慣がない僕は、よほどのことがなければ足を運ばないのですが、そのときばかりは体をコントロールすることすらできかなかったのです。
鎌倉の森の中に佇む洋館の中にライブ会場はありました。200人程度のお客さんがはいるアットホームな空間で、年齢層は僕よりも上の人たちが多く、コアなファンの方たちが集まっている印象を受けました。僕はそんな中、ただじっと、その登場を待っていました。やがて照明がゆっくりと落ち、「そろそろだ」という空気に包まれました。そして、あたたかな拍手に包まれて、彼は登場したのです。
「こんにちは、鈴木康博です」
おそらく名前を聞いてもわからない人が多いかと思います。でも「オフコース」と聞けば、多少知っているのではと思います。オフコースは小田和正さんがソロになるまでやっていたグループで、「さよなら」「愛を止めないで」などのほか、最近でも「言葉にできない」などはテレビでも流れていたりします。オフコースのサウンドは小さい頃、物心をつく前から僕の体内に注入されていました。いつも兄の部屋から流れていたからです。やがて自分でCDを買う年齢になり、詩の意味を理解できるようになると、こんなにも素晴らしい曲だったのかと、それまでよりも深く感動したわけです。だからオフコースは青春のBGMであり、人生のサウンドトラックなのです。鈴木さんはオフコース結成時のメンバーであり、その楽曲は小田さんのそれとともにファンに愛されてきたのです。僕にとって二人は、ビートルズでいう、ジョンとポールなわけです。どっちがどっちというわけではないですが、いずれにせよすごい存在なわけです。その人が、遂に僕の目の前に登場したのです。そして、拍手が鳴り止まないうちに、ギターを弾き始めました。そして目の前で唄い始めると、僕の体が異変を起こしはじめました。いままでずっと聴いてきた唄声が、まさに目の前から流れていることに、体が対応しきれなかったのです。どうにもならなくなった僕の体から、大量の涙があふれてきました。もしものために持ってきておいたタオルがこんなにも役立つとは思いも寄りませんでした。
「やばい!これ以上唄われるともうだめだ...」
もはや涙なんだか鼻水なんだかわからなくなり、体の震えがとまりませんでした。周囲の人たちはおそらくライブに何度も足を運んでいるようで、終始楽しんでいるのに対し、僕はずっと肩を震わせていました。そしてようやくその唄声に順応できた頃、ライブは終焉を迎えようとしていました。
「いやぁ、やばかった...」
ギター一本と唄声だけで表現した鈴木さんの世界は、音楽を愛する人の情熱があふれていました。しかし僕は、ただ鈴木さんの唄声を聴きにきたのではありませんでした。
「あの、鈴木さんに挨拶させていただきたいんですけど...」
芸能生活12年の運を最大限に活用し、スタッフの人に頼んで楽屋まで通してもらうことになりました。するとそこには、ライブを終えた鈴木さんがいました。僕が幼少の頃から聴いていた音楽を作った、鈴木康博さんがいたのです。突然の芸人の登場にさぞ驚かれたことでしょう。
「鈴木さんに、どうしても唄ってほしい曲があるんです!」
とにかくそのことだけを伝えました。唄ってほしい曲のCDと、僕がどれだけオフコースサウンドを愛しているかを綴った手紙、そして大事な人に贈る高級菓子、ナボナを渡し、握手を交わしました。おそらく、号泣した直後だったので、目を真っ赤にしていたことでしょう。
「もう、あとは天命を待つだけだ」
それから2週間ほどたちました。目黒のレコーディングスタジオに、ギターを抱えた鈴木さんがやってきました。鈴木さんは、僕のために、ロケットマンのために、惜しみなく唄ってくれました。コーラスもいれてくれました。ギターも弾いてくれました。小さい頃からずっと聴いていたアーティストに自分の楽曲を唄ってもらえた現実は、もしかするとあと1年くらいしてじわじわと実感するのではないかと思うくらい、夢の中のような出来事でした。
 そうしてひとつの曲が完成しました。オフコースを聴いて育った僕が、鈴木さんに唄ってほしい曲を作ったことは、ある意味必然的なことだったのかもしれません。この曲には、オフコースに対する愛と、憧れと、潮の香りが詰まっているのです。

1.週刊ふかわ |2006年07月09日 10:30