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2006年06月18日

第225回「幸福とお金と情熱と」

経済学部をでたものの、「インサイダー取引ってなに?」ときかれたら、雰囲気でしか説明できないような僕の意見なので、適当に流して聞いてもらえればと思います。
 僕は、あの人の顔やしぐさなどを見ていると安心します。あの人の言動や行動を見ていると、ほっとするのです。「やな奴でよかった...」と。
もしも彼が、あらゆるインタビューなどに対して、長嶋さんのようなユーモアのあるコメントをして、人間的に魅力的に見えていたら、「世の中まちがってる!」と思うのだけど、案の定、彼は見事に憧れにくい言動をするので、「世の中ちゃんとできてるな」と、安心したわけです。彼が叫べば叫ぶほど、「お金がすべてじゃない」という事を実感できるのです。
 お金はないよりあったほうがいいでしょう。少ないよりも、ある程度余裕があったほうがいいでしょう。しかし、だからといって、お金を増やすことを最大の目的にしては本末転倒と言えます。つまり、お金は人間の暮らしを豊かにするために流通しているものであって、人間の生活の目的ではありません。お金持ちの芸能人やスポーツ選手だって、べつにお金のために仕事をしているわけではなく、自分の挑戦を繰り返していった結果、お金がたまっていっただけのことであって、お金が目標ではないのです。当然、最初はお金持ちに憧れるケースもあります。いい車乗って、大きい家に住んで、みたいに。でもそれだけでは長年やっていく原動力にはならないのです。サラリーマンだって同じです。最初は生活のためにお金が必要だから働くのかもしれませんが、やっているうちに仕事の中にやりがいを見出し、いつのまにかその目的はお金ではなくなり、お金が単なる結果でしかなくなってくるのです。お金は目的ではなく、結果なのです。
 「勝ち組」という言葉がもはや死語になろうとしています。時代が生んだ言葉が時代によって葬られようとしています。時代は表面上の華やかさの奥を見抜いたのです。簡単に手に入れた1000万円と、彼女のために一生懸命バイトしてためた10万円とでは、経済的には1000万円でも、人間としては後者のほうが価値があり、尊いものだと思います。表面上の数字で判断したり、数字に惑わされてはいけないのです。
 お金は時に、人を狂わせます。お金が人間の判断能力をおかしくさせるのです。お金が原因で友人と疎遠になってしまったり、猜疑心が強くなってしまうケースもあるでしょう。また、お金を得たいがためにいい加減なことをする企業も少なくありません。だからお金は恐いのです。お金は人を殺すのです。上手に向き合わないと、お金に動かされた人生になってしまいます。
お金に殺されるような人生を僕は歩みたくありません。お金のために自分を見失うような人生を、送りたくないのです。たとえ富を失っても、自分らしく生きる道を進むべきなのです。そんな風に考えていると、いま自分が何をすべきなのかが自然に浮かんでくるのです。自分が何に情熱を注ぐべきかがわかってくるのです。それを見つけることが、幸せのはじまりなんだと思うのです。情熱にお金はかからないのだから。でも、インサイダー取引くらいは知っておかないとね。

1.週刊ふかわ |2006年06月18日 10:00