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2006年04月16日

第216回「満たされない力」

 これはまだ自分の中でもしっかりまとまってなく、未完成なので、なんとなく読み流して欲しいのですが、少し前から感じていることを書こうと思います。それは、「満たされない力」についてです。言葉が足らないのでなんのことか見当つかないと思いますが、「大人になってからの行動は、幼少時代の抑圧に起因することが多い」ということです。では、時間のある方のみ、先へ進んでください。

 たとえば「大人買い」という言葉があります。お菓子を箱ごと買うことです。小さい頃は、なけなしのお小遣いで一つ買うのがやっとでした。しかも母親からは「そんなお菓子ばっかり食べちゃだめよ!」と注意され、たいていの子供は、好きなお菓子を満足に食べることができませんでした。だから皆、「あぁ、このお菓子をたくさん食べれたらなぁ」と憧れて幼少時代を過ごしていました。そんな少年もやがて大人になり、お金を自由に使えるようになりました。お金を手にした大人は、昔抱いていた願望を叶えようとするのです。満足に食べれなかったお菓子を箱ごと買ってしまおうと決意するのです。このとき、幼少時代の「満たされない力」が働いているのです。高額のミニカーが売れたりするのも、少年時代の欲求を満たそうとする大人が多いためでしょう。子供の頃「満たされていなかった」からこそ魅力が増すのです。そういう意味で、「大人の行動は幼少期の抑圧に起因している」のです。その対象がお菓子やミニカーであれば問題ないのですが、子供の頃に満たされていないのはそれだけではありません。

 少年時代にもっとも満たされないのは、好きな人への想いです。少年にとってなかなか手に入らず欲求不満になるのはまさに、女の子なのです。女の子を好きになり、「あの子と話したい、あの子に好かれたい」と感じるようになるものの、自分の思いをうまく伝えることもできず、欲求が満たされず、ただもやもやだけが膨らんでいくのです。あの子と両想いになって抱き合ったりカラダを触りたい、そんな憧れもなかなか現実にならないのです。この満たされない状況がのちのちの起爆剤になる可能性を秘めているわけです。高校生くらいになって彼女ができて、そういったもやもやを解消できればいいのですが、遅い人だと成人になってもいまだに触れたことがない、という人も少なくありません。そういった人たちは満たされない部分をどうにか埋めようとするのです。さらに、周囲の成人女性に対して恐怖心があると、その矛先が低年齢化するわけです。つまりロリータ・コンプレックスです。少年時代の満たされない部分が深ければ深いほどその欲求は強く、過度になると幼児や少女への性的虐待につながってしまうのです。アニメなどで解消できているうちはまだ健全なのです。重たい話になってしまいそうなので目線を変えますが、つまり、裸族の人たちは好きな女の子の裸を見たいとか思わない、ということです。満たされていれば、欲求は生まれないのです。そして、満たされていないのは男性だけではありません。

 世の中にはおじさんを好む女性が数多くいます。その大きな要因のひとつは、お父さんにあります。お父さんは、父としては世界一なのだけど、男としてどうなのか、となったときに世界一じゃなくなってしまうケースが多いです。役者さんのようなお父さんはごく一部であって、たいていのお父さんはお風呂上りにパンツ一丁でうろうろした中年太りのおっさんなのです。本当は、お父さんと腕組んで街を歩きたいのに中村雅俊さんのようなお父さんじゃないのです。田村正和さんじゃないのです。そんな「満たされない力」が大人になってからの男性選びに影響を与えるのです。自分が大人の女性となったいま、父としても、男としても満たしている男性に魅力を感じるのです。父の安心感、男としてのかっこよさを兼ね備えた人を選ぶことにより、「かっこいいお父さんと歩く」という昔からの欲求を満たそうとするのでしょう。

前の彼が子供っぽくて、辛い3年間を過ごしたのであれば、当然それも「満たされない力」になります。わざわざ次も子供っぽい彼を選ばないはずです。家族の中でしっかりしたお姉さんを長年やってきたら、末っ子のように甘えさせてくれる年上の男性を好むことでしょう。クラスに理想の男子がいないから、アイドルの人気が上がるのです。日本のアイドルに何かが欠如していたから、韓流ブームが起きたのです。これらすべて「満たされない力」が働いているのです。

ゲームで勉強のソフトが売れるのも、ちょいワルオヤジが流行るのも、すべては過去に満たされなかったことが要因となっているのです。昔勉強ばかりしていたらわざわざゲームで勉強しないのです。昔、ワルをやっていたら、ちょいワルオヤジにならないのです。昔ワルをできなかった人たちがお金でワルを買うわけです。大人になり、経済力が伴って、過去の満たされなかった部分を埋めているだけなのです。こういった「満たされない力」はすごいだけに、そのパワーが誤った方向に行かないように、自ら理性でコントロールしなければならないのです。

人間形成というのはきっと、遺伝による部分もあるけれど、後天的な部分が多く占めている気がします。生きていく環境によって心が求めるものが決まっていくのです。常に人々はどこか満たされてなくて、万事快調という人の方が少ないのです。そういった満たされていない人々の心を埋めるために、音楽があり、本や映画があるのです。個人単位でみれば各々の好みになるのだけれど、社会全体で見れば、それは時代が求めていることなのです。ジグソーパズルのように、満たされていない部分を埋められる者こそが時代の寵児となれるわけです。だからあの人も一度は時代の欠落した部分に当てはまる人物かのように思われたのは事実で、ただ、よく見たら微妙に違っていた、ということなのです。また、一度欠落した部分にすっぽりはまっても、ある程度時間が経つと世の中はお腹いっぱいになってしまうことも忘れてはいけませんね。

現在の社会が満たされていないこととは何なのか、それこそが時代を解くカギなのでしょう。その答えは10年後くらいにわかるのかもしれません。その答えを気にしててもチャンスはやってきません。でも「満たされない力」によって世の中にひとつの流れを作っているということは、知っていても損ではないんじゃないかなと思うのです。あくまでまだ研究段階なのですが。

P.S.
第一弾の当選者メールが送られたようです。パソコンなどご確認ください。

1.週刊ふかわ |2006年04月16日 10:00