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2006年01月22日
第204回「黄金の町」
長距離列車に乗ってウィーンを発った僕は、駅構内の喫茶店で買ったコーヒーを片手に、窓から冬の景色を眺めていました。頭の中で、「世界の車窓から」のテーマが流れています。
「これなんだよ、こういうことなんだよ!」
流れゆく景色が街から次第に森へと移り変わり、いつの間にか真っ白な世界が広がってきました。僕は旅行用にためてきた曲を聴きながら、ひたすら続く雪景色を堪能していました。といっても、日本の雪景色となにが違うかというと、特別違う要素はないのかもしれません。おそらく違うのは見る側の気分であって、「これがヨーロッパの景色なんだ」と思うからそのように感じるのでしょう。
「でも、なにかが違うんだよ」
そんな自問自答を繰り返しながら、雪山を抜ける列車の旅を楽しんでいました。途中パスポートの提示を示唆されると、自分が国境を越えるんだという実感がわいてきます。いくつもの山々を抜け、やがて赤い色をした屋根の家を多く目にするようになってくると、長距離列車の旅もまもなく終わろうとしていました。そこから乗り継ぎ、地下鉄から地上に出てみると、目の前には想像をはるかに越えた、美しい街並みが広がっていました。ウィーンから列車で3時間半。僕は、黄金の都、プラハに到着したのです。
プラハというのは東欧チェコの首都です。チェコというと、僕らの世代はチェコスロヴァキアという響きのほうが馴染み深いかもしれません。現在のチェコになったのは1998年のことで、それまでの歴史をひもとくと、まさに共産党支配下における苦しみから自由を勝ち取るまで、激動の時代を経てきたことがわかります。「プラハの春」や「ビロード革命」などはもしかすると歴史で習ったのではないでしょうか。激動の歴史を経てきたチェコですが、社会体制こそ変動したものの、そこにある建物は、かつてのままに残っています。それはまるで中世にタイムスリップしたかのようで、時間がとまっているようにも思えます。実際、「黄金の町」だけでなく「魔法の都」など様々な呼称があるわけですが、言葉がひとつにしぼれないのは、それだけ幻想的な町だからでしょう。
すっかり石畳を歩くことに慣れた僕は、ホテルに荷物を置くと、町を散策することにしました。その中心を流れるヴルタヴァ川の東には歴史の舞台となった旧市街があり、西側にはプラハのシンボルであるプラハ城がそびえ立っています。そしてこの西と東の間に、カレル橋というとても神秘的な橋がかかっているのです。東西両側に赤い屋根の家並みが続き、ゴシックやルネサンス建築の教会や宮殿もいたるところで見られます。写真を撮り出したらきりがなくなってしまうほど、どこにいてもわくわくさせてくれるのです。パリやウィーンが多少現代的な建築物や商業的な看板などがあるのに対し、プラハではそういったものがほとんど無く、そういう意味では、プラハの町はどの部分を切り取っても、絵画のような光景になるのです。
プラハの夜はさらに幻想的な雰囲気に包まれます。プラハ城はライトアップされ、オレンジ色のあかりで照らされた街並みと、それらを映し出すヴルタヴァ川がとても神秘的に輝いているのです。その上に浮かぶカレル橋から眺めると、まるで町全体が黄金に輝き、それこそ魔法にかけられたかのように思えてくるのです。また、どことなく悲しげな印象も受けました。自由を得られなかった時代を経て残った光景は、物質としては老朽化しているものの、その輝きは時代と共に増していくのではないでしょうか。プラハは色褪せることのない、黄金の町なのです。
数日後、再び世界の車窓からごっこをしてウィーンに戻ると、どこか魔法をとかれた気分になりました。あれほどまでに感動したウィーンでさえも現実的に感じるわけだから、よほどプラハが幻想的な町だったのでしょう。最終日、モーツァルトチョコレートを大量に買って、空港に向いました。
それにしても、毎年感じるのは、やっぱり日本人だなぁってことです。旅行中はもう、おせんべとかうどんとか、白いごはんとかおさしみとか、とにかく和食、とくにしょうゆ味が恋しくてたまりませんでした。日常の味を求めて駆け込んだマックだって、日本のと微妙に味が違うから、どうしてもテンションが下がってしまうのです。景色は非日常がよくっても、やはり食べ物に関しては日常じゃないとだめなのかもしれません。成田に到着すると、およそ一週間ぶりの太陽が、突き刺してきました。十数時間ほど前までは、昔の建物に囲まれていたから、高速道路脇に並んだ背の高いビルを見ると、なんだか未来に来たような気分になりました。そして念願のおそばやさんに寄り、久しぶりのしょうゆ味に再会しました。やっぱり日本が一番だと、いつまでも感じていたいものです。
プラハ城の近くに作家のカフカの家が残っています。今はちょっとしたお店になっているのですが、そこで買ったプラハの本を眺め、当時を思い出しながら原稿を書きました。ボキャブラリーを駆使してどうにか想像してもらおうとしましたが、やはり百聞は一見にしかずです。ぜひとも一度見にいってほしいものです。あっ、年賀状、年賀メールありがとうございました。
1.週刊ふかわ |2006年01月22日 10:00