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2006年01月15日
第203回「誓い」
どこからともなくヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」が流れてくると、人々は手を取り合い、ワルツを踊り始めました。ライトアップされたシュテファン寺院の先端を追い越すように花火が上がり、そのたびに歓声が起こりました。現代的な建築物など一切無いその通りには、露店が並び、人々は瓶を片手に歌っています。まさに音楽の都ならではの光景でした。
そもそも僕がお正月を海外で過ごすという考えを抱き始めたのはつい最近で、30歳を過ぎてからでした。お正月といえば若手芸人の書き入れ時であり、連日の生放送にたくさん出演することが、ある意味ステータスでもありました。若手芸人に正月なし、くらい思っていました。しかし、芸歴10年を越え、年齢こそ近いもののもはや若手とは言えなくなると、そろそろ自分の時間も作らなくちゃと感じ始めたのです。それまでずっと我慢してきた海外へ旅する時間を積極的に設けるようにしたのです。その一発目が去年の正月でした。おばがフランスに住んでいることもあり、パリのオープンテラスでカフェオレを飲みながらお正月を過ごしたわけです。エッフェル塔や凱旋門を見ることよりも、カフェでカフェオレを飲みたかったのです。ルーヴル美術館よりもベルサイユ宮殿よりも、カフェでカフェオレを飲むことが最大の目的だったわけです。ちょっとむかつくでしょ?
そんなことですっかり味をしめてしまった僕が今年の正月に過ごす場所として狙ったのが、音楽の都ウィーンだったのです。同じ芸術の都ではありますが、どちらかというとパリは絵画でウィーンは音楽といえるでしょう。モーツァルトやベートーベン、前述のヨハン・シュトラウスなど、偉大な作曲家は皆、ウィーンで活動をしていました。ウィーン少年合唱団やウィーンフィルなんて言葉は聞いたことがあると思います。またモーツァルトに関して言うと、今年はちょうど生誕250周年ということもあって、世界のクラシック愛好家が関心を寄せているのです。僕がテレビで時折自慢げに演奏するトルコ行進曲はモーツァルトの曲で、いってみれば、現代でいうトランスを作曲していたようなものかもしれませんね。
「ということで明日から行ってくるから」
年末のロックフェスを勝手に仕事納めに設定した僕は、お正月の生放送を放棄するかのように日本を発ちました。昨年のパリは年を越してからだったけど、今回はウィーンで年を越すことにしたのです。実際ウィーンという街は、昔教科書に出てきたと思いますが、ハプスブルク家時代の色が濃く残っていて、王宮や宮殿などを中心に、当時の建造物をたくさん目にすることが出来ます。また、音楽の教室の後ろに飾られているような作曲家たちの像などが点在していて、普段クラシックを聴くような人にとっては非常にテンションのあがる街なのです。逆にいうと、そういった関心がなければ、なんの魅力もない街に感じるかもしれません。僕自身、もしピアノに出合っていなかったら、ワイドショーのレポーターを尻目に、スーツケースをひいて、ワイハに行っていたかもしれません。ましてや、ヨーロッパの冬なんて異常に寒く、空もどんよりとして、気が滅入るほどです。寒い日本を抜け出して、もっと寒いところへ行くのです。食べ物だって、お肉ばっかりで日本人の口には合わないでしょう。そんなところに行って楽しいのかというと、決して楽しくなんてないのです。つまり、よほどのことがなければ、わざわざ冬のウィーンなんて行く必要なんてないのです。でも僕には、よほどのことがあったのです。
「ここらへんにベートーベンの家はありますか?」
ウィーンはドイツ語が主体ですがたいてい英語も通じます。受験で培った英語を駆使し、大きな犬を連れた男性に声を掛けました。すると、おそらく男性は「ベートーベン」という単語を聞き取った段階で了承したようで、吹雪にもかかわらず、快く案内してくれました。
「ここで生活してたのか...」
ウィーンから電車とバスで30分ほどのところにハイリゲンシュタットという町があります。ここはまさに、ベートーベンが生活していた町として世界的に知られているのです。ちなみにベートーベンが生まれたのはドイツですが、22歳の時に活動の拠点をウィーンに移し、何百回もの引越しをしたようです。このハイリゲンシュタットにはベートーベンが住んでいた家がいくつも残っているのですが、この地が特に有名になったのには理由がありました。それは、ベートーベンが遺書を書いた家があるからなのです。
「ここが遺書の家か...」
吹雪の中到着すると、コートもすっかり真っ白になっていました。聴覚が戻らなくなってしまったことに絶望したベートーベンが弟宛に遺書を書いた家が目の前に立っていました。中に入るとそういった遺書や楽譜などが展示されていました。時期のせいか他には誰もいなく、部屋でベートーベンの像と対面すると、まるで天から声が聞こえてくるかのようでした。しばしば、音の聞こえない音楽家は目の見えない画家にたとえられます。彼は、どれだけ自らの人生を悔やんだことでしょう。それでも頭の中で響いている曲を書き続けたのです。そんなことに感動しながら、近くの広場にある彼の胸像のところに行きました。相変わらずの吹雪の中、僕はベートーベンを前に、誓ってきました。今思うと、ベートーベンの写真だけなぜか、どれも吹雪の中でした。
ウィーンでカウントダウンをし、ベートーベンに会い、偉大な作曲家たちと写真を撮りまくっても、僕はまだ帰りませんでした。まだ行きたい場所がありました。そこに向かうために僕は長距離列車に乗っていました。それでは次週にしましょう。
1.週刊ふかわ |2006年01月15日 10:00