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2005年12月11日
第199回「悲鳴」
「ったく、何時だと思ってんだよ!」
家賃3万5千円の古びたアパートは、部屋を薄い板で仕切っているようで、隣の部屋の物音がよく聞こえます。特に夜ともなると、なにをしてるのかわかってしまうほど、鮮明に聞こえてくるのです。2,3週間前に引っ越してきた新之助は、そんな環境に慣れることができず、寝不足の日が続いていました。
「なんでこんな時間に泣いてんだよ...」
ただその日は、いつもとは様子が違いました。泣いているような、うめいているような、女性とも男性ともわからない、悲しそうなすすり泣く声が聞こえていたのです。新之助はその声が気になって、布団の中にはいったものの、なかなか眠ることができませんでした。
「ちくしょー、眠れやしねぇよ...」
新之助は安いアパートに引っ越してきたことを後悔しました。いくら布団の中に潜り込んだところで、泣き声を遮断することはできませんでした。
「だめだっ、言うしかない!」
頭からかぶっていた布団をはねのけ、新之助は寝巻きのまま部屋をでました。するとその悲鳴らしき声がさっきよりも少し大きく聞こえてきました。しかし、隣の部屋のドアに耳を近づけ、そばだててみたものの、中からはなにか悲鳴らしき声は聞こえてきません。
「おかしいな、下の部屋かな...」
木製の階段を降り、足を運ぶたびにいちいちきしむ廊下を歩きました。しかし、相変わらず泣き声は聞こえるものの、どの部屋からという感じではなく、全く見当がつきませんでした。
「いったいどこから...」
もしやと思い、新之助はアパートの外に出ました。外は少し肌寒く、枯葉がかさかさと転がる音がします。新之助は耳をすませました。
「やっぱり聞こえる...」
風の音に混じって、たしかに悲鳴のような声が聞こえてきます。
「うちじゃないのか...」
その声がアパートの部屋からではないとなると、近隣の家が考えられます。新之助は、寝巻きにサンダルのまま近所を歩くことにしました。実際犯人を見つけたときに注意できるのだろうか、そんな不安はあったものの、とにかく発信源だけは突きとめておこうと思ったのです。
「おかしいなぁ...」
しかし、近所を散策しても、それらしき場所が見つかりません。新之助は、アパートからだいぶ離れたところに来ていました。もはや近所という範疇ではくくれない距離でした。
「ジャンパーでも着てくればよかった...」
しかも、こんなに遠出になるとは思っていなかったから、部屋の鍵もせずに出ていました。
「まぁ、盗るものなんてないか...」
たしかに部屋の中に高価なものなんてひとつもなく、せいぜい湿った布団くらいです。新之助は半ばやけくそになって暗闇の中を彷徨っていました。
「いったい誰が泣いてるんだよ...」
もうあとに引けなくなってしまった新之助は、声の主を見つけずに帰るわけにはいかなくなりました。来たことのない町であろうと、その悲鳴に吸い寄せられるように、ただ歩いていきました。
「まいったなぁ...」
アパートを出てどれくらい経ったでしょう。新之助の目の前には広大な海がひろがっていました。見知らぬ海に辿り着いたのです。
「ずいぶん遠くまできちゃったなぁ...」
歩き疲れた新之助は、砂浜の上に仰向けになって寝転がりました。空にはたくさんの星が輝いて見えます。
「ほんと馬鹿なことをしてしまった。我慢して寝とけばよかったんだ」
波が静かに音をたてています。耳をすますと波の音に悲鳴が混じっているのがわかりました。新之助は目を閉じ、波の音を聴いていました。
「そうか、そういうことか...」
新之助はなにか思いついたのか、ゆっくり体を起こしました。
「ずっと悲鳴をあげていたのは、もしかして、あなたですか?」
新之助の質問に反応するように、その悲鳴がさっきより大きくなりました。
「あなただったんですね...」
新之助は、部屋で聞こえていた悲鳴の主をようやく見つけることができました。それが地球であったことにそれほど驚くことなく、おもむろに立ち上がり、砂を払いました。200回に続きますよ。
1.週刊ふかわ |2005年12月11日 10:00