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2005年11月06日

第194回「言葉の力」

 最近「日本語」を扱った番組を多く目にします。数年前から「日本語ブーム」なんていう声がきこえていましたが、その頃から日本語関連の著作物は売れ続け、いまだに店頭に平積みされていたりします。かつての血液型がそうだったように、どこかの局で成功すると、それに続けとばかりに各局で同じような番組を放送する風潮もどうかと思いますが、連日放送されている状況はまさに「日本語ブーム」を象徴しているといえるでしょう。そもそも「日本語ブーム」というのもおかしな話で、「英会話ブーム」「中国語ブーム」みたいに、外国の言葉が流行するのならまだわかるけど、日本人の間で、母国語である日本語がブームになるというのはなんとも妙な気がします。ブームもなにも、僕たちはずっと日本語を使用していたわけで、裏を返せば、ようやく今になって日本語の魅力に気付いたのか、という風にも感じます。ともあれ、僕たちが普段なにげなく使っている「日本語」というものを、もう少ししっかり理解しようという流れになってきているわけです。するとどうでしょう。そこにはルールがあり、由来があり、歴史がありました。まるで洞窟を探検するかのように、日本語の奥行きの深さに感嘆するわけです。母国語だからすべてわかっているかと思いきや、ずっと間違った使い方をしていたりします。それも、日本人のほとんどが間違って使っているのです。それを指摘されたときは、なんともいえない恥ずかしさと、それを超えた爽快感すらおぼえます。そういった認識のズレを矯正する時期がたまたま現在になったのです。ズレの矯正、つまり、日本語のクオンタイズなのです。
クオンタイズとは音楽用語で、小節内の音符のタイミングのズレを直す機能のことを言います。長年使用されて生じた日本語の認識、使い方の微妙なズレもクオンタイズしなければならなくなったのです。しかし、です。微妙なズレをクオンタイズして正しい位置にすることはできるのですが、あまりにズレ具合が大きいと、本来のあるべき位置にはいかず、間違った位置にクオンタイズされてしまうのです。言葉の場合も同じで、本来の意味からだいぶかけ離れてしまったら、いくらクオンタイズしても正しい位置には戻らないわけです。やがてその間違った使い方が、多数決によって正しい使い方になるのです。だから、文法的に間違っていても、それが間違いじゃなくなることは往々にしてあるわけです。実際、本来の意味から進化して現在当たり前のように使用されている言葉はたくさんあります。つまり、言葉は進化、変化を繰り返す、生き物なのです。言葉は生きているのです。「やばい」だとか「微妙」「キモい」なんていう言葉はまさしく進化の途中といったところでしょうか。それらのことばは、いくら文法的な間違いを指摘されても、大衆のパワーによってどんどん進化したうえで、未来の辞書に載ることになるのでしょう。
言葉は変化を繰り返す生き物と言いましたが、必ずしも変化をするとは限りません。そのままの形で生きている言葉もあります。
「お前のことが好きだ」
そんな言葉を発したところで、その相手の心に響かなければその言葉たちは死んでしまいます。しかしその相手の心を貫き、揺さぶることができたなら、それらの言葉は彼女の心の中で生き続けるわけです。物理的には見えなくても、ずっと心の中で生きているのです。軽い気持ちで発した言葉が、相手の心を傷つけることだってあります。言葉というのは、物理的な重力はないのだけど、確実に人の心を動かす力は持っているのです。人を動かし、時代を動かす力を持っているのです。それらをうまく発する人たちが歴史に残る人たちであって、彼らは必ず世の中に生きた言葉を投げいれてきたのです。言葉によって時代を築いてきたのです。僕らが無意識に発している言葉も、適当に並べても成立はするけれど、使い方によっては大きな力を持つと言うことを知っておくべきなのでしょう。そんな言葉の力を僕は信じたいのです。言葉の力でなにができるだろうか。言葉の力をもっと世の中に役立てることはできないだろうか。そんなことをここ数ヶ月間ずっと考えていたのです。そのことは次回にしましょうか。あぁ、200回記念、どうしよう...

1.週刊ふかわ |2005年11月06日 10:30