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2005年08月07日
第181回「Music takes me everywhere」
「音楽があればどこにでもいける」
そう思ったのはいつの頃だったでしょう。そんな昔でもなく、そんな最近のことでもなかった気がします。
仕事帰り、車の中で心地よい音楽を聴いていると、「あぁ、このまま家に帰らず遠くまで行ってしまいたい、、、」そんな衝動にかられることがよくあります。「このまま海が見えるところまで行って、海岸線をただひたすら走って、さらにその先のずっと先の方まで、あてもなく、行けるところまで行ってしまおう、、、」そんな衝動の風にのって湘南の海まで来てしまうこともしばしばありました。でもやはり、「明日仕事だしなぁ、、、」なんて、迫り来る現実に負けてしまい、それよりも先に進むことはできなかったりします。ただ、それもきっと時間の問題であって、現在の僕の中では理想よりも現実のほうが大事なのかもしれないけど、いつしかそれが逆転するときが来るかもしれません。現実のすべてを捨てて、理想の世界に突っ走ってしまうときが、きっと来るのです。それが何歳のときなのかはわからないけど。でも、そういう価値観になったら恐いものなんてなくなり、ただ音楽を聴きながらなにも考えずに遠くまで旅をしてしまうのでしょう。音楽が、僕をそんな気持ちにさせるのです。それほどまでに音楽が、はかりしれないパワーを持っているということは、みなさんもご存知でしょう。
僕が音楽に出会ったのは、たしか、まだ小学校低学年の頃でした。兄貴のいない隙を狙って部屋に潜入した僕は、大事なレコードプレーヤーを勝手にいじっていました。CDなど存在しなかった当時、棚には何十枚ものレコードがあり、それを片っ端から聴いていたわけです。そのときの僕には、いまのように深く「音楽を聴く」という感覚を持っていなかったと思いますが、それでもある曲がかかると、僕の心はふるえはじめました。いろいろ聴いていた中で、その曲は確実に僕の心の中に入り込んできたのです。幼い僕は、その曲を何度も聴くようになりました。そうして僕の体内には、レットイットビーのメロディーが流れるようになったのです。
その後ピアノを始めるようになった僕は、中学生になると、ピアニストになることへの強い憧れを抱き始め、「絶対音大付属高校にいくぞ!」と決意することになります。でもいろいろ考えた末に、僕は音楽というものを、「職業」とせずに「趣味」の範疇で楽しむ道を選びました。そうして僕は、残った「お笑い」という道を職業として選ぶことになるのです。「20歳になったら門を叩こう」と決めていたので、実際に20歳になってから、実質的な活動が始まりました。しかし、初めてオーディションにいったとき、僕はアコースティックギターを持っていました。テレビでエアロビのネタをやるときも、ダンスクラシックの音楽がかかっていました。結局お笑いをやっていても、音楽から離れることはできなかったのです。そんな僕が、やがてDJをやるようになるのも、ある意味必然的なことといえるでしょう。いくらお笑いをやっていても、いくらテレビで馬鹿なことをやっていても、体内には音楽の血が流れているのですから。どこかで音楽に触れてないと貧血になってしまうわけです。かといって、僕の体内にお笑いの血が流れていないわけではありません。そのことに対してはまたいつかお話しましょう。つまり、僕の体内には「音楽」と「お笑い」のふたつの血液が流れている、そんなようなことなのです。
テレビに出てちやほやされても、それなりのお金をもらっていても、僕はどこかで音楽にふれていないとだめだったのです。音楽を表現しないと体内のバランスがとれなくなってしまうのです。あのときに「趣味」と決めたのは僕の頭の中でのことであって、カラダはそんなことなんてきいていなかったのです。音楽に対する感情をそんな風に押さえつけることはとうてい無理だったのです。
「ロケットマン」のアルバムをだすことがきっかけでDJをやるようになった僕は、極端に言えば、水を得た魚のように、全国各地を飛び回り、大きな何千人もはいるクラブからから、単なるヤンキーのたまりばになっているようなところまで、ありとあらゆるクラブでDJをしてきました。きっとこれからもすることでしょう。それは紛れもなく、音楽が好きだからです。音楽が僕を全国各地に向かわせているのです。ちなみに僕は、それぞれのクラブでDJを際に、あまり言葉を発しません。ときどきマイクでわぁわぁ言う程度で、ほとんど話をしないのです。それでも僕は、そこにいる人たちと心が通じ合うのがわかるのです。音楽があれば、言葉はいらないのです。音楽の話のたびに言っていますが、僕は、音楽に優劣はつけられないと思います。数字で評価するものでもないし、多数決で決めるものでもありません。当然、流行やヒット曲というのは必ず存在するものですが、それだけが音楽の尺度ではないのです。ある曲が流れたとき、きっとだれかの心のすき間を埋めているのです。音楽は数字で表せない力をもっているのです。
「音楽って素晴らしい」そのことを伝えることが、アーチストの最初のメッセージだと思います。だから僕も、そのメッセージを伝えるひとりとして、音楽を表現していきたいのです。やがて僕はDJという枠組みを取り払うでしょう。自分の音楽を追求することでしょう。レットイットビーを聴いたあの頃からすでに、音楽から離れられなくなっていたのです。
「音楽があれば、どこにでもいける。音楽があれば、みんな幸せになれる」
そう信じて僕は、今日もステージに立つのです。
1.週刊ふかわ |2005年08月07日 10:30