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2005年06月19日

第174回「家庭の事情」

昔のひとは頭がいいなぁ、と思うことがあります。とくに、ことわざや慣用句などを耳にすると、そのハイセンスぶりに驚かされることがあるのです。たとえば、なにかに釘付けになっていることを、「目が離せない」と表現したり、楽しくてうきうきしている状態を「心が弾む」と表現したり、いまだからこそなのか、妙にポップな印象を受けるのです。ことわざにしたって、「時は金なり」「良薬口に苦し」など、これほどまでスマートに表現された人生の教訓は、豊かな感性と知恵の結晶といえるでしょう。現代人の生活を車や電化製品が支えているように、昔の人たちの生活を、彼らの知恵が支えていたのです。科学技術が発達していなかった分、知恵で人生と向き合っていたのです。
そんな昔の言葉のなかに、迷信と呼ばれるものもあります。おもに人々の度が過ぎる行為を禁止する際に使用されるもので、あまり信憑性はないものの、これらによって人々の生活の秩序を守ってきたといえるでしょう。たとえば、「食べてすぐ横になると牛になる」だとか「夜口笛を吹くと蛇がでる」だとか、これらはおそらく子供たちの目に余る行動に対して生まれた言葉でしょう。なかなか言うことをきかない子供に対してただ「こんな遅くに口笛なんてやめなさい」と言ってもなかなかやめないので、もっと効果的な表現はないか考えた結果、「蛇が出るわよ」となったのです。同様に「牛になるわよ」となったのです。このように昔の人は、ただ禁止するのではなく、そこにセンスを加えていたのです。「夜の口笛禁止!」だと響かないけど、「夜口笛ふくと蛇が出る!」だと心に響くのです。ここで一旦今日のテーマからそれます。だから僕は「運転中のケータイ禁止」はだめだなぁと思ってしまうのです。いくら事故の要因になるからといって、やみくもに禁止すればいいってもんじゃないのです。マナーをルールにしてはいけないのです。そもそも事故の原因は人類が車を運転するようになったことにあるわけだし。もし減らしたいのなら「運転中のケータイ禁止」ではなく、「運転中にケータイ使うとロバになる」みたいなことをとひたすら言い続ければいいのです。何十年もかけて言い続ければ、やがて心に響いてくるのです。話を戻しましょう。
「コラ!いつも言ってるでしょ、やめなさい!」
「だってしょうがないじゃん、伸びてるんだもん」
「だめよ、ツメは夜切っちゃだめなの!」
「べつにいいじゃん、いつ切ったって。なにが起こるわけじゃないんだし!」
息子の言い分に手を焼いている母は、どうにかやめさせたいものの、ただ「やめなさい!」としか言えませんでした。
「...ほら、なにも言えないじゃん。べつに夜ツメ切ったっていいんでしょ」
「よくないわ!夜ツメを切るとねぇ...夜ツメを切るとねぇ...」
母親は、なにも浮かんでいないのに発進してしまいました。
「なに?どうせ牛になるとか、蛇がでるとかでしょ...」
「夜ツメを切るとねぇ...お、親の死に目に会えなくなるわよ!」
ツメを切っていた息子の手がとまりました。
「昔からそう言われてるのよ!いいの?親の死に目っていうことはつまり、そういうことよ、それでもいいの?」
「...母さん...」
こんな、親と子のやりとりから生まれたのではないかと考えられます。前述の「蛇」や「牛」などにくらべ、ツメを切ることと親の死に目という言葉がリンクしづらいので、おそらく相当追い込まれて湧き出て来たのではないかと思われます。いずれにせよ、このひとりのお母さんの発言によって、息子は学校で友達に話し、その友達は「ねぇねぇお母さん!」とそれぞれの家庭に持ち帰り、その話は村中に広がり、町中に広がり、城中に広がり、そのまま日本中を網羅してしまったのです。ここでもし、「おちんちんが伸び悩む」だとか「へそが臭くなる」的なことをいっていたら、そんな風にはならなかったかもしれません。ありえなそうでありえそうな、そんな程よい距離感が、当時の日本人の心に響いたのです。「じゃぁ、夜はツメを切るのやめよう...」となったのです。よほど他に強力なノミネート作品がなければ、確実にその年の流行語大賞になったことでしょう。それが現代にまで残っていることは、なんともすごいことです。僕自身も夜になってツメが伸びていることに気付いても、そのときは切らないで翌朝に延期したりします。その迷信を信じきっているわけではないけど、なんか気になるからです。このように、あのとき息子に追い込まれてなんとか搾り出したお母さんのセンスはどんなに時間がたっても色褪せない、不朽のフレーズを生んだわけです。それにしても、どうして夜切っちゃいけないのでしょう。たぶん、なんらかの家庭の事情があったんでしょうね。

1.週刊ふかわ |2005年06月19日 11:00

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