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2005年06月05日
第172回「ストイックな僕は」
そのとき僕は、亀屋万年堂の前にいました。「亀屋万年堂」といっても、東京の人にとっては馴染みのあるフレーズだけれど、もしかすると地方の人にとってはそうでもないのかもしれません。最近こそあまり見かけなくなりましたが、僕が子供の頃は頻繁に「ナボナはお菓子のホームラン王です」というテレビCMが流れていたものです。このCMこそまさに「亀屋万年堂」のCMであって、お店の名前よりも、実際のホームラン王である王さんが言ったこのフレーズのほうが有名になったのかもしれません。現在で言うと、長嶋さんの「セコムしてますか?」に匹敵するほど、一般の人の体内に浸透しているものでした。その「亀屋万年堂」の前に車を停め、僕は苦悩していたのです。
「あぁ、ナボナが食べたい...」
その日の僕は、なんだか無性にナボナが食べたかったのです。「お菓子のホームラン王」であるナボナを体が求めていたのです。あのふんわりとしたスポンジの食感、その中には程よい甘さのクリーム、そして周囲を覆う粉雪のような白いものが指先を快楽へと導いてくれます。味、見た目、さわり心地、全てが僕の心を満たしてくれるのです。ナボナはお菓子のホームラン王どころか、お菓子の三冠王なのです。そのナボナをどうしても食べたくてお店の前に車を停めたのに、すぐに車から降りることができませんでした。なぜなら僕は、あることが気になったからです。
「ナボナを自分のために買っていいのだろうか...?」
お菓子のホームラン王である「ナボナ」は、いわゆるお菓子とは違います。かっぱえびせんだとか、じゃがりこだとか、そこらへんのコンビニに陳列されているスナック菓子とはわけがちがうのです。グレードが違うのです。高級お菓子なのです、ナボナは。なんせホームラン王なのですから。そんな「ナボナ」は、その高級さゆえに、誰かしらから頂くものの定番となっているのです。東京のおみやげはもちろん、お中元やお歳暮、引越しの挨拶などに多く用いられるものなのです。そういえばCMのときの王さんも、そういった贈り物風のケースを抱えていました。実際僕も、引越しの挨拶をする際に「ナボナ」をもっていきました。このように「ナボナ」は、大切な人に贈るもので、日常的にというよりも、ここぞというときに登場するものなのです。そんな、贈り物としてのイメージが強いナボナを僕は、単なる個人的な欲求のために購入してしまっていいのだろうかと、悩み始めたわけなのです。いくら食べたいからといって、自分のために「ナボナ」を買ったら、ある意味、バースデーケーキを自分で買うような、敗北を意味する気がしてならなかったのです。「ナボナ」は、人から頂いて食べるべきもので、自分で買ったらだめなんだと、ストイックな自分が現れたのです。ちなみにコンビニにいけば、限りなく「ナボナ」に似た他社の商品がありますが、僕の体をそういった類似品では満たしたくなかったのです。僕は、「亀屋万年堂」の「ナボナ」じゃなきゃだめだったのです。
「すみません、ナボナ、あります?」
「はい、ございますよ。こちら12個いりのタイプから16個いりのもの、そして36個いり、、」
「えっと、2個くらいでいいんですけど...」
「えっ?」
「2、2個でいいんですけど...」
「2個?...少々お待ちください...店長!店長!」
奥から店長がやってきました。
「お客様申し訳ありません、当店ではバラ売りを致しておりませんので...」
「でも、12個だとちょっと多いくて...」
「申し訳ござしません...」
「...じゃぁ、12個いりので...」
みたいなことになるのではないかという不安もありました。それでも僕は「ナボナ」が食べたかったのです。僕に残された選択肢は2つでした。ひとつは開き直って自分のためにナボナを買うこと。もうひとつは、誰かからナボナが送られるのを待つこと。僕は悩みました。夜の目黒通りは、少し渋滞していました。
「よし!誰かから送られるまで待とう!!」
僕は、誰かにとって大切な人になり、その人から「ナボナ」を贈られるのを待つ人生を選択しました。それまでは「ナボナ」を口にしないと決意しました。たとえどんなに食べたくなっても。それが、「お菓子のホームラン王」に対する敬意なのです。
「自分が本物になるまで、本物は食べれないということだ」
そして僕は、コンビニに置いてある類似品を買って帰りました。ちなみに亀屋万年堂では、「ナボナのバラ売り」はやっているそうです。僕が本物を食べれる日は訪れるのだろうか。
1.週刊ふかわ |2005年06月05日 11:00