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2005年05月15日
第169回「苦悩する生き物」
「人間は苦悩する生き物である」というのは誰の言葉だったでしょうか。たしかに人間は、生きていくうえで多大な苦労や悩みにぶつかり、何度も押しつぶされそうになっては立ち上がるものです。当然、気の持ち方しだいでその影響力に差異はありますが、どんなに楽天的に生きようとも、苦悩なしに生きていくことは不可能といえるでしょう。たとえ抱えていた問題をやっとの思いで乗り越えても、また次の局面では新たな問題が目の前に立ちふさがり、なかなかスムーズに進ませてもらえないのです。そう考えると、人間という生き物は常に悩みや苦しみと戦いながら生きているのかもしれません。そのときの僕も、ひとりの人間として苦悩と戦っていたのです。
「あれ?あの人、もしかして...」
人間にとって生きていく世界はひとつとは限りません。ひとつの空間だけで生きている人はごくまれで、学校やバイト先、会社や家庭など、いくつもの世界、環境のなかで生きているものです。そして、そういった環境のなかで多く発生する問題はえてして人間関係による場合が多いです。それぞれの世界にさまざまな人間が集まっているのだから、その世界での関係性が強くなればなるほど、お互いの価値観の一致が求められ、そこに相違点が生じると、関係に亀裂が入ったりするものです。そういった問題を抱えていると、それは現代人特有のストレスとなって、体中に重くのしかかってくるのです。そのときの問題も、いわば人間関係によるものでした。
「そうだ、きっとそうだ...」
タクシーを捕まえやすいところまで歩いていた僕は、すでに問題が発生していることにまだ気づいていませんでした。
「あの人、ここら辺に住んでるのかな...」
などと考えながら、僕と「あの人」との距離が徐々に狭まってきました。そしてようやく僕はその問題に直面するのです。
「どうしよう、どうしたらいいんだろう...?」
およそ20メートルほど先に「あの人」はいました。「あの人」が遠くに見えてどうして僕が頭を悩ますかというと、「あの人」がコンビニの店員さんだからなのです。よく利用する近所のコンビニの店員さんだったからなのです。「よく使う近所のコンビニの店員さんとコンビニ外で遭遇したときの対処法」がそのときの僕には思いつかず、苦悩していたのです。距離から考えると、あと10秒もすれば対面してしまうところまで来ていました。
「あの人に声を掛けるべきだろうか...」
それとも無視して通り過ぎるべきなのか、頭の中で葛藤していました。
昔、小学生の頃、学校の先生に駅などで遭遇したことがありました。でもそういったときはたいてい先生のほうから「あら、府川くん!」みたいに声を掛けられ、とくに気まずくもなかったりしました。ただ、駅で遭遇するのが、隣の隣のクラスの吉岡君、みたいなことになってくると話は別で、格段に問題意識は高まります。「どうしよう、声をかけてみようか...」と悩むも結局、気づかぬフリして違う車両に移動したりと、幼ながらに大人な行動をしたものです。このように、ひとつの世界における関係性を違う世界に持ち込むと、そこには歪みが生じ、なんだかどうしていいんだかわからなくなってしまうのです。おおざっぱに言うと、「気まずい空気」が生まれてしまうのです。そしてそのようなことは、30歳になったいまでも当然あるわけで、番組内では気軽に話せても、番組外だとなかなか話しずらい女優さんがいたりなど、つくづく、人間関係というのはいかに難しいものかと痛感させられます。そんなことはどうでもよくって、僕の目の前には、コンビニの店員さんが歩いてこっちに向っていました。
「これからも利用するコンビニなんだ、挨拶ぐらいするべきだろう!」
勇気を出して挨拶をする方向に突き進もうとしました。しかし、まもなく彼がいつもと違うことに気づいたのです。店内の制服を着ていないこともそのひとつですが、なによりも違うのはその表情でした。レジのところで見せる社交的な表情とはほど遠い、とてもそこから「いらっしゃいませ!」がでてくるとは思えないような、完全にスイッチをオフにした表情でした。
「やはり、気づかないフリが一番なのだろうか...」
この段階では、必ずしも相手が気づいているとは限りません。となると、子供の頃から培ってきた、気づかないフリという演技で切り抜けるのが得策かと思われました。
「いや、店員さんに気づいているのに気づいてないフリなんて子供のやることだ!俺は自分に嘘はつきたくない!正直に生きるんだ!!」
どこからか、そんな正義感が湧いてきました。
「よし、ここはなにがなんでもこんにちは!と言おう!挨拶のできる大人になろう!!」
これらのことを、ほんの一瞬で考えたのち、僕は挨拶する気満々で向っていきました。しかし、僕のイメージどおりの未来は訪れませんでした。
「な、なんか、ものすごい斜め上見てる...」
コンビニの店員さんは、ありえないくらい斜め上を見ながら歩いていました。庭先の木々を眺め、いまにも口笛でも吹きそうな角度に顔を上げて歩いていました。僕の中で却下した「気づかないフリ」を店員さんはあからさまにしていたのです。
「き、気づかないフリしてる...」
どことなく失恋にも似た感覚が襲ってきました。存在を否定されたというか、「いまは話しかけないでいいから」みたいな、拒絶を受けた気がしました。そしてすかさず僕も、庭先の木々を眺めるように、反対側の斜め上を眺めて歩いていきました。彼が通り過ぎる気配を感じました。
「ここで振り返ったら負けだ。絶対に振り返っちゃだめだ!」
東京ラブストーリーを想起させるような二人の距離は、そのまま遠ざかるのみでした。
人間は、ささいなことで苦悩する生き物である。
1.週刊ふかわ |2005年05月15日 11:00