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2005年05月08日
第168回「違和感は続く、どこまでも」
「目を疑うとはこういうことか」と思うほど、そのとき僕は、目を疑いました。
「ん?いまなんかおかしかったよねぇ?」
突然目の中に飛び込んできた情報に脳が拒絶反応をしたものの、車を運転していたためにじっくり見ている余裕はなく、なんとなく違和感を残したまま通り過ぎるしかありませんでした。しかし、この違和感を持ち帰りたくなかったことと、単なる見間違いではないということを証明したかったために僕は、気づくといくつか先の信号でUターンしていました。
「目にくるいはないはずだ。たしかにそう書いてあったんだ」
さっきの向きでは反対側の車線側に見えたので今度はこのまま進めばすぐ近くで確認することができます。徐々にその看板が近付いてくると体中に妙な緊張がはしりました。車のスピードを緩め、お店側に車を停めると、ゆっくりとその方向に顔を向けました。
「これは、いったい、、、」
僕の目線の先には「ギョウザとロック」と書かれた一枚の看板がありました。僕の体内に充満する違和感はここから生まれていたのです。以前話しましたが、近所には「ブック&ゴルフ」というお店があります。そして前回は探偵バーなるものを発見したことを伝えました。しかし、その言葉の響きや強さからしても今回のは前述の2つのインパクトをはるかに超えていました。「ギョウザ」と「ロック」というとてもパワフルな言葉同士が組み合わされているのです。そのせいで、かえってしっくりきてるような気さえしてしまうほどです。いずれにせよ、一軒のお店に掲げられたこの看板が僕のこころを掴んだのです。
「なぜ、ロックなんだ、、、」
僕は車をとめたまま店内の様子を窺おうとしました。しかし、そこからはあまり中が見えません。シンプルに考えれば、「ギョウザ」と「ロック」が楽しめる店ということなので、「ロック」を聴きながら「ギョウザ」を食べるというコンセプトのお店という風に考えられます。店内にはエレキギターのうなる音とギョウザが焼かれる音でにぎわい、ギターを担いだバンドマンたちが集う店。ギョウザを食べながら音楽を語る。それが「ギョウザとロック」の世界なのでしょう。生のバンド演奏を聴きながら、というスタイルも考えられます。バンド活動のかたわらギョウザのお店を開くことになった店長が、いっそお店で両方やってしまおうという結論をだしたのです。そんな自分なりの想像がふくらんだところで僕は、その場所を去りました。それから10日もたたないうちに、僕は再びその店の前にいました。
「百聞は一見にしかずだ!」
発見したその日にそのまま飛び込む勇気はなかったので、日をあらためて潜入しようと決めたからです。そして、その日が訪れたのです。
「ギョウザとロックの世界を堪能しようじゃないか!」
そう意気込んで扉を開け、店内に潜入しました。すると、いわゆる中華料理屋のようなカウンターがあり、その中に店員さんが2名ほど立っていました。僕はそのカウンターの一番端しに座り、なんとなく店内を見回しました。すると、ある大事なことに気づきました。
「なぜだ!なぜロックを流していないんだ!!なぜだ!なぜロックを!!」
店内では、聞こえるか聞こえないかくらいのわずかな音量で、民族音楽のような音が流れていました。エレキギターどころか、アコースティックなしっとりした雰囲気になっていたのです。
「じゃぁこの店にロックはどこにあるんだ!!ロックどころか、ギョウザもないいんじゃないのか?!」
さすがにギョウザはありました。これでなかったらよっぽどです。僕は2皿ほど注文し、あらためて店内にロックを探しました。しかし、いくら探してもなかなかロックの要素が見つからず、それっぽいポスターだとか、エレキギターだとか、いわゆるロックを感じさせるものがなかったのです。ただ唯一、厨房に立つ店長らしき人のTシャツの柄がエレキギターのプリントのようで、そのTシャツにだけロックがありました。それ以外にはロックが見つからなかったのです。
「いや、そんなことはない!看板に掲げているんだ!ギョウザを食べ終わって出るまでの間にロックは登場するにちがいない!!」
僕は最後まで望みを捨てませんでした。が、結局、お店をでるまでロックは登場しませんでした。店長らしき人のTシャツのなかだけでした。。店内でエレキギターの音を聴くことどころか、誰かの唄声をきくことさえできなかったのです。
「じゃぁ、どうしてこんな看板を、、、」
店を出た僕はあらためて看板をみつめました。そこには確かに「ギョウザとロック」と書いてあります。時間帯が悪かったのか、まだ未完成なのか、両方味わいたかった僕は、ギョウザしか堪能できませんでした。僕が感じたかぎりでは、「ギョウザと民族音楽」もしくは「ギョウザとロックのTシャツ」という看板の方が合っている気もします。「ロック」を掲げて「ロック」を表現しない。そんな社会をナメた感じが、ロックの精神なのでしょうか。
1.週刊ふかわ |2005年05月08日 11:00