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2005年04月10日

第165回「渇いた心に」

たぶん忘れちゃってるだろうから少し振り返ると、「CDショップでは、なぜひとつの視聴器にヘッドホンがふたつ付いているのか」という疑問が生じ、これに対する僕なりの独断と偏見たっぷりの見解を物語風にして発表してみたら、思いのほか話が長くなってしまい、むしろ見解よりもそのストーリー展開に重点が置かれるようになってしまいました。今回で完結するか若干の不安こそありますが、どうにか終わりたいわけです。で、前回までの話というと、僕がCDショップで視聴をしていたら「僕もいいですか」と突然男が現れ、二人で視聴する状況になってしまったのです。その気まずさにどうにか慣れてきたころ、横を見るとその男が涙を流していた、そんなストーリーです。

「ちょっと、どうしたんですか?だいじょうぶですか?!」

ひとつの視聴器を僕と共有していた男は、ヘッドホンをしながら号泣していました。

「ちょっと、ねぇ、ちょっと!」

涙で顔をクシャクシャにした男を前にすれば誰だって困惑せずにはいられません。男は、僕のことばを聞くどころか、まるで現実世界を拒絶するかのように、ヘッドホンをしっかり両手で押さえていました。異変に気づいたのか、周囲の視線が集まり始めました。僕は平静を装うことが困難になってきました。

「まいったなぁ、頼むから泣かないでくれよ。これじゃまるでケンカ中のホモのカップルじゃない」

すると男の泣き声が一瞬止んだ気がしました。

「あれ、泣き止んだ?」

と横をみると、男はなにやら瓶から錠剤のようなものを手のひらにこぼし、それを一気に口の中に放り込もうとしていました。

「ちょっと、なにしてるんですか!」

「死なせてください!死なせてください!」

とっさに僕は錠剤を握り締める男の腕を掴みました。

「放してください!死なせてください!」

男は僕の手を必死に振り払おうとします。

「僕なんかもう死んだ方がいいんです!僕みたいな人間は生きていたってしょうがないんです!」

男はあいかわらず物凄い力で錠剤を握り締めていました。僕はその腕を強く握りしめ、どうにか手を開こうとしました。

「いいから放してください!」

「ちょっと!おちついて!」

上に持ち上げられた男の手がゆっくりと開き、中から10粒くらいの錠剤がこぼれおちました。男は腰が抜けたように床に尻をつき、ふたたび泣き始めました。いつのまにか遠巻きに人だかりができていました。

「で、死にたくなったんだ...」

僕たちは、お店から少し離れたところにある公園のベンチに座っていました。視聴器の前では収拾付かなくなってしまったからです。ようやく興奮状態もおさまり、男も落ち着いて話ができるようになりました。話によると男は、会社のリストラに遭ってから自分の存在の意味がわからなくなってしまい、「死んでしまおう」と考えるようになったのです。

「僕がひとりいなくなったところで、どうせ誰も悲しまないんだし...」

「だからって、あんたところで死のうとしなくたっていいじゃないですか。だいたい僕みたいな初対面の男の横でなんて」

「誰かに迷惑かけてやろうとおもったんです。僕だけがこんな悲しい思いをして一人で死んでいくなら、いっそ世の中に迷惑かけて死んでやろうって」

「その対象がたまたま僕だったってことだ」

男は缶コーヒーを大事そうにすすりました。

「そういうことになります、申し訳ないですが。ただ、あの時は本当に人生なんてどうにでもなれって思っちゃってたから」

「うん、わかるよ、それはわかるんだけど...」

僕は飲み干した缶を横の空き缶入れに放り込みました。

「...でも、自分だけが悲しい思いをしてるとか、そんな風に考えない方がいいと思うけど」

男はあまりわかっていないような表情をしていました。

「自分だけが悲しい思いをしてるだとか、自分だけが辛いだとか、まるで自分が特別な人間かのように思わないほうがいいよ。いや、思っちゃいけないんだよ。なんていうか、世の中って、あなたが一番になるほど、そんな甘いものじゃないんだよ。そう簡単に特別な存在になんてなれないんだよ」

男はだまってうつむいていました。

「僕はあなたがどれだけ辛い思いをしてきたのかは正直わからないけど、でもきっと、辛いのはあなただけじゃないんだよ。みんな辛いし悲しいんだよ。そのタイミングがそれぞれ違ったりするだけで。だから、どんなことがあっても、死にたいなんて思っちゃいけないんだよ。あなたの命はあなただけのものじゃないんだから。あなたの命はみんなのもの、つまり宇宙の一部なんだよ」

男はうつむいたまま顔を上げようとはしませんでした。

「もういちど、聴きにいこうか?」

「え?」

「もう一度お店行って、CDいっぱい聴いてまわろうか」

「いいですけど、なんのために?」

「音楽って、渇いた心を潤してくれるから」

そうして僕と男は再びCDショップに戻り、あらゆる階のあらゆる視聴器で、音楽を聴いて回りました。

「でも、どうして視聴器がひとつなのに、ヘッドホンってふたつなんだろ?」

男がぼそっとつぶやきました。

「それはあれじゃない?あなたみたいな人がいるからじゃない?」

「えっ?なんですか?」

聞こえてないのか、聞こえないふりをしたのかわかりませんでした。でも今度「どうしてヘッドホンってふたつなの?」と訊かれたら僕は、「人間はひとりじゃ生きていけないから」と答えるでしょう。 この一言のために3週もかけてしまったなぁ。

1.週刊ふかわ |2005年04月10日 11:00

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