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2005年04月03日

第164回「なぜ、ふたつなのか」

「ご一緒させてもらって、いいですか?」

と言っているような気がして僕は、慌ててヘッドホンをはずしました。

「ご一緒させてもらって、いいですか?」

口の動きから推測した通りのことを言っていました。まるで合い席よろしいですかとたずねるように男は、使用していない方のヘッドホンを手にし、僕にきいてきました。

「えっ、あっ、はい...」

たしかにひとつの視聴器に対してヘッドホンがふたつあることは知っていたものの、実際に見知らぬ人と同時に使用した経験はなく、ましてや途中参加で視聴器を共有してくる人が存在するとは思ってもいなかったので、さすがに困惑した表情を隠せませんでした。

「拒否するべきだったのだろうか...」

すぐに、その男の要求に対して断ることができなかったことへの後悔が押し寄せてきました。そもそもおかしいではないか。視聴器というのは、そのCDが自分の好きな世界かどうか確かめたりするものであって、言ってみれば服を試着するようなもの。突然試着室のカーテンを開け、僕もそのジーンズ履いてみてもいいかな、と言うようなものです。カップルや友人同士ならまだしも、見ず知らずの人と共有するべきものではないのです。だから、要求に対して断るか、もしくは「どうぞ」と言ってさりげなく立ち去るとかすればよかったのではと感じはじめたのです。ただ、もしバトンタッチするように僕が去っていたら、ちょっとした立ち退きに従ったようなものだし、その男の外見からも、なにか危害を加えるようなタイプではなく、一応スーツを着ていたので、常識を持った人物であるだろうということなどが、拒否する気を起こさせなかったのかもしれません。僕は、ヘッドホンから流れてくる音楽が、まったく耳に入らなくなっていました。

 傍から見たら、多少奇妙な光景になっていたことでしょう。サラリーマン風の男と、カジュアルな30前後の男という、あまり友人同士にみえにくい、不釣合いなふたりがひとつの視聴器を共有しているのだから。そんなことばかり気にしていたものの、次第にどうでもよくなってくると、ヘッドホンからの音楽がようやく耳に届くようになってきました。

「次の曲にしてもいいのだろうか...」

しかし、慣れたら慣れたで、そんな疑問が浮上してきました。いま流れている曲をフルコーラス聴くつまりはない。そもそも視聴というのはそういうもので、深夜のテレビのザッピングのように、いろいろ試してみて自分にハマるのを探す作業なのです。一曲一曲フルコーラスで聴いていたらそれこそCD一枚分の時間がかかってしまうわけで、ましてやひとつの視聴器に数枚のCDがはいっているのだから、そういった他のCDも聴きたい。だからテンポよく次の曲、次のCDにいきたいのです、通常であれば。しかし、です。今回に限っては僕一人の視聴器ではなかったのです。ふたりでシェアしていたのです。だから、次の曲を聴きたいからといって自分のテンポで変えていいものなのか、相手の気持ちを無視して曲を変えてもいいのだろうか、心のなかでの葛藤がはじまったのです。

「これが少年ジャンプだったら、どうだっただろう?」

中学時代、休み時間になると漫画雑誌をふたりで一緒に読んでいる奴らがいました。ドラゴンボールをふたりで読んだりするわけです。その状況に似ている気がしたのです。漫画にしたって、読むスピードに多少なりとも個人差はあるわけで、ページをめくる前に「いい?」ときいてりして、相手のことを気にしてしまうものです。ただ、いちいち「いい?」「うん、いいよ」なんてやりとりをしていたらストーリーに集中できなくなるのも当然で、次第に気を使わなくなり、結果的には、ページをめくるタイミングは本の所有者にゆだねられるものなのです。その本に対しお金を払った者が一番えらいわけで、どんなに仲のよい友人であってもページをめくる権利は持っていないのです。マックのポテトにしてもそうです。「ポテト食べていいよ」といわれ二人でシェアすることになっても決して友人は平等であろうとしてはいけないのです。ポテトに対してお金を払った人のほうが絶対的にえらいわけで、そこにはゆるぎない上下関係がうまれているのです。たとえポテトを食べることを許可されたとしても、調子にのって何本も食べていいわけではなくて、出資者2本に対し友人が1本という具合でなければならないのです。ましてやポテトでいうと、長さにバラつきもあります。当然長いポテトは出資者で、友人は短めのものを選ばないといけないのです。ただし、人によっては、短いカリカリに焦げたタイプのが好みの場合もあるので、あらかじめ「こういうカリカリの好き?」と出資者にきいておかないといけないのです。このように、ひとえに「シェア」といっても、かならずしも平等の関係とは限らないのです。だいぶ本線からそれてしまいました。ポテトの話はいりませんでした。いずれにせよ、それに対して誰がお金を払ったのかがポイントとなるわけです。しかし、目の前の視聴器は僕が買ったわけではありません。「視聴料」を払ったわけでもありません。じゃぁどこで上下関係が生まれるかといえば、それは紛れもなく順番です。お金を払った者がいないのであれば、先に使用していたものに、その操作の権利が与えられるべきなのでしょう。だからここでいうと、先にヘッドホンで視聴していた僕に曲を変える権利があるのです。

「いいですか?」

操作の権利があるからとはいえ、さすがに無言で曲を次に進めるのも意地悪かと思い、僕は横の男に軽く合図してからボタンを押そうとしました。が、ボタンに触れるか触れないかぐらいのところで僕の指がピタッととまりました。一瞬見えた男の表情の異変に気付いたからです。おそるおそる僕は、再び彼の方に目をやりました。

ひとつの視聴器を僕と共有していた男は、ヘッドホンをしながら号泣していました。顔をクシャクシャにして泣いていました。ヘッドホンから流れてくる音楽とはまったく別のリズムで肩が揺れていました。

「ちょっと、どうしたんですか?だいじょうぶですか?!」

やはりあのとき拒否しておけばよかったんだ、そんな後悔が再び押し寄せてきました。

PS:ここで整理しますが、「なぜひとつの視聴器にたいしてヘッドホンがふたつついているのか」というテーマに沿って、先週からお送りしています。次回、なるべく完結させます。

1.週刊ふかわ |2005年04月03日 11:00

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