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2005年02月20日
第158回「自己投資」
交通違反の切符を切られたことは、少なからず、新しくテレビを買うべきかどうかずっと悩んでいた僕の背中を押す結果になりました。
「チキショー!あの警官のせいで最悪な一日になっちまいそうだ!よし!こうなったら45型の液晶テレビでも買ってやる!!」
そうつぶやきながら僕は、違反切符をポケットにいれたまま、ヤマダ電機へと向かいました。その日を、「切符を切られた日」ではなく、「大画面テレビを買った日」に塗り替えたかったのでしょう。最悪な一日で終わらせたくなかったのです。とはいうものの、まったく突然に思いついたわけでは当然なくて、以前から「そのうち買うだろう」とは思っていたのです。ただ、「そのうち」というのが曲者で、実際には「そのうち」はなかなか訪れず、なんだかんだここ数年間ずっとシャープの14型の液晶テレビで問題なく生活をしていたわけです。
「麦藁帽子は冬に買え」という言葉があります。夏に使用される麦藁帽子は冬の安い時期に買う方が得だ、ということですね。僕の中で「そのうち」というのはつまり「麦藁帽子にとっての冬」であって、「大画面テレビにとっての冬」を待っていたのです。しかし、そんなことを言いながらもうすうす感じてはいたのです。僕も大人だからわかってはいたのです。「大画面テレビに冬は訪れない」のです。もっというと、「電化製品に冬は訪れない」のです。大画面テレビが安くなるタイミングを待っちゃいけないということです。とはいっても人は商品を安く購入したいものです。わざわざ高い方の店を選ぶ人はいないはずです。そして値段が高ければ高いほど、「そのうち安くなるだろう」と、絶好のタイミングを見計らってしまうのです。しかし企業としては、そんな「タイミングを見計らっている人」にいかに買わせるかしか考えていないのです。もっというと、そんな絶好のタイミングを与えようとはさらさら思っていないのです。相手は商売のプロなのです。じゃなきゃ季節ごとにパソコンの新機種を発売する必要はないのです。機能を小出しにしているだけなのです。だから「麦藁帽子の冬」はあるかもしれないけど、「電化製品の冬」は存在しないのです。もしも「冬」が訪れたとしたらそれは「冬」ではなくて、「衰退」ないし「死」を意味しているのです。その商品としての価値が、社会的に評価されなくなってしまったということです。
ただ、僕自身、YJ(ヤマダ電機とジャスコに対する敬意を込めた略称)マニアであるし、ヤマダ電機を消費者の敵と思われては嫌なのであえていいますが、大事なのは「気分」なのです。「お得な買い物をした」という気分を味わえるかが大事なのです。その最たるものが「ポイント還元」というシステムです。たとえば「30万円の商品を購入してくれたら6万円分のポイントがつきますよ!」という店側のサービスなのですが、これぞまさしく「気分」をうまく利用した商売なのです。
「30万円の商品を買ったら6万円分の商品がタダになる」ということと、「30万円の商品を24万円で購入した」ということは、消費者からしてみれば変わらないことかもしれないけど、店側からすればそこにはとてつもなく大きな違いがあるわけで、誰がなんといおうと、お店には30万円入金されたほうがいいのです。お客様の24万円はヤマダ電機で残りの6万円はコジマ電機ということになってはだめなのです。全部ヤマダで使って欲しいのです。だから、ポイントカードを作るということは、「一生ここで買います」という契約を結ぶようなものなのです。ただ、さっきから言ってますが、大事なのは「気分」なのです。「冷蔵庫買ったら洗濯機も買えちゃった!ラッキー!!」という「得した気分」を味わうことが大事なのです。「実際に4万円得すること」よりも、「6万円得した気分」を味わえるお店の方が喜びは大きいのです。宝クジにしたって、「当たるかもしれない」という気分を買うのです。ちなみに僕はフランスに行く前に国際免許証の手続きをしました。でもそれは、実際にフランスで運転するためではなくって、運転しようと思えばできる、という気分を得るためでした。目には見えないものだけど、「気分」って大事なのです。そんな「気分」を売るヤマダ電機は間違っていないのです。
そんなことを自分に言い聞かせ、僕は店員さんを呼びました。はいなんでしょう?と来るやいなや僕は、45型の液晶テレビを指差しました。これで、「切符を切られた日」は「大型テレビを買った日」に塗り替えられました。ただ、これまでの段階で「自己投資」にまつわる話がでていません。テレビに数十万円ものお金を掛けることがなぜ自己投資なのかは、次週にしましょう。
1.週刊ふかわ |2005年02月20日 10:30