« 第834回「はじめてのTikTok」 | TOP | 第836回「屋根から降りた少女はいま」 »
2020年06月28日
第835回「必要な痛み」
「登山は八合目からが一番大変」というのを聞いたことがあります。本格的な登山は経験がないので実感したことはないですが、視界に頂上があるのになかなかたどり着かない状況は想像できます。大変さの種類は異なりますが、曲を作る時も同じで、八合目からがとても過酷なのです。
私の場合は、意図的に作ろうとして作る場合と、なんとなく音と戯れていたら曲っぽくなってくる場合と、登山口は二つ。どちらも最初はとても楽しく快適な道。子供が落書きをするように、好きな音色を重ねていくと、やがてメロディーが聞こえてきて、タイトルが浮かんだり、メロディーラインに言葉が乗ったり。ひたすら心地よい眺めが続く、苦悩とは無縁の「無責任な」時間を享受するのです。
私の表情が変わるのは、レコーディングをするあたりから。いい音で録音する為に、録音環境の整ったいわゆるレコーディングスタジオで行います。ここに自宅で作った「音色」を移し、神経を尖らせるのです。ただ、レコーディング自体はとても楽しいです。仮で作っていたデモに、実際の声が入ることによって、温もりや音に厚みが生まれ、浮かび上がる世界観。無事に歌を録り終え、「お疲れ様でした!」とボーカルの方が退出したところで、全体的に見れば八合目なのかもしれませんが、体感的には五合目。「録ったら完成」ではなく、過酷な時間の始まり。しばらく笑顔はなくなるのです。
ここからは、音や音数を整えたり、場合によっては構成も再考したりするのですが、「耳」を酷使した作業になります。耳で判断する。それは、普段音楽を聴いたり、日常生活における役割の「耳」とは違って、神経を集中させるので、体は動いてなくてもヘトヘト。旅先で景色を眺めるたびに「ナンチャンを探せ」をやるようなもの。ページをめくるたびに「ウォーリーを探せ」をやるようなもの。「hear」でも「listen」でもなく、注意深く耳を傾ける「I’m all ears」なのです。
ここでベースはいらない。シンバルがあった方がいい。一方を気にすれば、一方が散漫になったり。モニター環境でも聞こえ方は変わったり。細かい部分にまで注意を払って聞く音楽に、もはや「楽」の部分はなく、ただただ苦痛が続く道。音は時とともに流れていくので、目で確認するよりも疲弊するかもしれません。だから、「あとはよろしく!」とアシスタントや弟子たちに任せしてしまう状況にも憧れたりもしますが、おそらく、この苦痛な時間こそがモノを作る上で大切なのだと思います。
もしも完成に至るまでひたすら快適な道のりだったらきっと、今日まで続けられなかった気がします。どこかで辛いことや苦痛があるからこそ、人は山に登るのではないでしょうか。だから、山頂からの景色に感動できるわけで。比になりませんが出産に伴うそれも、大事な痛みだと思います。
音楽制作において、どんなに機材が進化しても、煩わしいことや面倒なことはなくならないし、なくなってはいけないのだと思います。それをひっくるめて好きになれるかどうか。仕事にすると好きなことも嫌いになると言いますが、確かにそうかもしれません。でもその「嫌い」は、大きな「好き」の一部。「好き」の大きさに比べたら大したものではないのです。
「お疲れ様でした!!」
スタジオを後にする深夜2時。必ずあるのが、完パケた後の感覚です。電話を切った後に何か思い出したりするように、曲を完パケた後に今まで感じなかったことが生じることがあります。スタジオから帰る車の中。家に帰ってから。何度スタジオに戻ったことでしょう。だから、一度納品したら聴かないことが多いです。発見してしまうと嫌なので。でも、やがて何にも気にならなくなる時が訪れます。あんなに細部にまでこだわっていたのに、細部が全く気にならなくなる時が必ずやってくるのです。いつも、この繰り返し。
登山の場合は山頂からの眺めが待っていますが、曲の場合、ライブのステージからの眺めもその一つでしょうか。スタジオを後にした時に夜空に浮かぶ月。今回の登山も、素敵な景色が待っていると信じています。
2020年06月28日 16:47
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.happynote.jp/blog_sys/mt-tb.cgi/226