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2019年05月31日

第792回「効率と非効率の間で」

 

 先週のアベプラで、ミニマリストの方と無駄な発明を続ける方がゲストでいらっしゃいました。その際に話したことをもう少し丁寧に説明できればと思います。

「人は、すべてが効率的になることを望んでいない」

「面倒臭いことを愛している」

 川で洗濯する時代。薪をくべて火を焚いてお風呂を沸かしていた時代。我々の日常生活は、昔の人が見たら理解できないくらい、とても効率的になりました。このことを望んでいない、ということではもちろんありません。面倒臭いことが面倒臭くなくなることは皆が歓迎することでしょう。しかし、一方で、効率的になった分、別の場所で非効率なものを求めはじめる、ということです。

 芸人のヒロシさんの影響もあり、最近はキャンプが注目を集めています。それこそ、「非効率なもの」の代表例。情報から遮断される、ぼーっとする、森林浴など、人それぞれに目的こそ違いますが、効率化に塗れた日常生活に疲れ、キャンプという非効率な時間を無意識に求めているのでしょう。非効率への憧れ。それは、生きている実感かもしれません。

 我々は、伝達手段や情報収集を効率的に実行できるようになった反面、人との関わりが増え、人間関係に頭を悩まし、情報過多に溺れるようにもなりました。効率化が人々を苦しめる。大阪出張が日帰りが当たり前になったように、文明には恩恵とセットで大変さも付いてきます。結果、相変わらず心は休まりません。洗濯やお風呂に手間をかけなくなった分、別のことで手間暇をかけ、頭を悩ますようになりました。昔の人に比べたら、1日で浴びる情報量は計り知れません。効率化の恩恵が、ストレスの温床になってしまう。効率化を進めても、人々は疲れているのです。

 非効率な日常に生じる疲れと、効率的な日常で生じるそれは、種類が違います。前者は生きている実感に繋がるのに対し、後者はむしろ実感を薄めています。

「効率的に生きたいのであれば、まずはスマホを手放すべきだ」

 デジタルデ・トックスと言いますが、スマホを手放して生活するだけでだいぶ楽になれるでしょう。最も効率的な道具を置くことで、情報は失いますが、精神的な疲弊は緩和し、心は軽くなるでしょう。逆に、キャンプが日常として何年も続けば、やがて効率化をのぞみ、スマホを手にしたくなるでしょう。結局、無い物ねだり。非効率なものを効率的にしたくなり、突き詰めると非効率にたどり着く。

「面倒なこと、一つください」

 音楽が簡単に手に入るようになった結果、ライブに足を運びたくなるように。都会生活から離れ、キャンプをしたくなるように。人は、面倒なことが全くなくなる環境に置かれると、面倒なことを求め始める。生きる実感を得たくなるの。効率と非効率の間で、人は、生活し続けるのです。

 

 

2019年05月31日 22:26

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