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2018年11月08日

第767回「編集後記」

 

 先日開催された、FM横浜「だめラジオ」の公開収録の中で登場した、「SHIN-YOKO WALKER」。地元ということで好き勝手言ってしまいましたが、公開収録とは言え、まさか本当に電波に乗ってしまうとは思わなかったので、言い訳を兼ねて、編集後記を設けることにしました。

 横浜も大きいので、横浜出身の方でも新横浜に精通しているとは限らないのですが、僕の実家はそこから車で15分くらい。庭とはいかないまでも、幼少の頃から馴染みの深い場所になります。

 新横浜駅の開業は1964年。新幹線「ひかり」の停車駅となりました。もちろん、まだ「のぞみ」はなく、冷凍みかんや、ペットボトルとは違うプラスチック容器に入ったお茶がスタンダードな時代。小学生だった1980年前後でさえ、駅の周辺に目立ったものはなく、むしろ空き地が多かったので、自転車でよく野球をしに向かったものです。特大ホームランだとホームに届いてしまうような距離。それから今日に至る間に、駅を起点として発展する様を見てきました。

 1989年に横浜アリーナ、1992年に丸くて背の高いプリンスホテルが誕生すると、「新横浜らしさ」ができてきました。ここから「のぞみ」が停車するようになりますが、当初は、新横浜に停まらない「のぞみ」も多かったので、ちゃんと調べないと通過してしまう状況でした。続いて、1994年にラー博、1998年の日産スタジアムへと続きます。日産スタジアムなんて、昨日のような印象ですが、もう20年も経っているのです。

 そんな中、もっとも新横浜の景色を変えたのはやはり、キュービック・プラザでしょう。2008年に開業した駅の商業施設。ホテルとグルメと、ショッピング。まぁとても便利です。地下には、ハマのスプラッシュマウンテンまであるのですから。しかし、これによって失われたものもありました。それは、駅のホームの明かりです。

 環状2号線から望む、駅のホームの明かりがとても好きだったのです。駅独特の、蛍光灯が連なる白い明かり。夜遅くに通ると、なぜか心が温まりました。いまではキュービック・プラザが壁になってしまい、完全に隠れています。そんな風に思っている人が他にいたかわかりませんが、それだけがちょっと寂しい部分です。

 今でも新幹線に乗る際は、余程のことがない限り新横浜。半蔵門から向かう際も、東京駅ではなく、極力新横浜まで行きます。東京駅は人が多すぎて心が荒れるのに対し、新横浜は多少人が多くても心が和むのは、昔から馴染みがあるからでしょう。北側と南側で人格が違う駅は少なくないですが、これほど顕著に現れている場所は珍しいかもしれません。南側には蛇行する川のように延びる道沿いに美味しいお店もあります。日曜日の駅は確かに人が多すぎてカオスですが、南側に行けば、穏やかな時間が流れています。

 子供の頃から見てきた街、新横浜。これからも、たくさん足を運ぶことでしょう。ラー博にも久しぶりに行きたくなりました。編集後記にかえて。

2018年11月08日 08:26

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