« 第606回「替えなんていくらでもいるから」 | TOP | 第608回「きらきら星はどこで輝く〜第7話 鉄は冷めることもなく〜」 »
2015年03月15日
第607回「水に流さない時代」
僕は哲学者でも思想家でも、評論家でもありません。ただ羊飼いになることを夢見る者ですが、だれも言わないので、ここであらためてお伝えしたいと思います。
タイトルにあるとおり、いま、「水に流さない時代」になりました。これまで「水に流そう」と大事にならずに済んでいたことが、水に流れず残ってしまう時代。本来流れて消えるべきものが、滞留し、大事になってしまう世界。もちろん、これはネット社会が生んだ現象。
水に流さないのか、水に流れないの、当然プラスに働くこともあります。地方のいちアイドルが、瞬く間に全国に波及することも、「水に流さない時代」の賜物といえるでしょう。リミックスした楽曲がたくさんの人の耳に届くことも、この「水に流れない」からこそ。
「おい!さっきすげー可愛い子がいたぞ!」
「え、ほんと?見たかったな〜」
しかし、ネット社会は、
「ほんとだ、すげーかわいい!」
と、たちまち人だかりができます。同様に、
「だれだよ、ここに落書きしたの!今度見つけたらただじゃおかないぞ!」
となっていたことが、水に流れないので、
「お前か、やったのは!」
と、今度を待つことなく、見つかりようになりました。
「え?こいつが落書きしたんだって?」
と、たちまち人だかりができて大騒ぎになります。
やはり文明の光と影を切り離すことはできず、いつでもどこからでも情報を得られる環境は、ときとして「水に流さない」環境を形成してしまう。それが、寛容なき社会、大目に見ない世界につながる。
ライブの地方公演で話した内容が瞬く間に全国に波及し炎上。そのライブ会場はもちろん、アーティストに興味を持っていない人までどこからともなく集まってきて議論に参加する風潮。一度議題にあがると、(吊し上げられると、)謝罪するまで、もしくは次の標的が見つかるまで徹底的に糾弾する。タチの悪いことに、伝言する人が話を盛ったり、誇張したり、「批判」だとか「苦言」だとか、適当な見出しをつけて報告する、いわゆるキリトリハラスメント。これが、昨今の「水に流さない社会」のシステム。
この「水に流さない社会」でのNGワードは、「いままではよかったのに!」です。なんの価値もありません。いままではOKでもダメ。いままではセーフだったことが、時代が寛容さを失い、あっというまにアウトになってしまう。だから気をつけないといけないのです。集団の力は恐ろしいもの。
だれもが発信力を持ってしまったことも、この風潮を形成する大きな要因。教習所なき車社会は、みんなが無免許で車を運転しているから、いたるところで事故が起きてしまう。同時に、言葉という銃弾を乱射する、銃声なき銃社会。しかし、発信者のほとんどはその自覚や責任感はない場合が多く、事故を起こして、人を傷つけて、逃げてしまう。
小林秀夫氏が生きていたら、現代社会をどのように表現していたでしょう。ドラえもんのポケットのなかには、ボタンひとつで水に流してくれる道具がはいっているでしょうか。社会はトイレのように「故障により使用禁止」という張り紙ができないので、いま僕ができることは、「この社会はつまりやすいのでご注意ください」、とアナウンスすること。あとは、一瞬でもこの窮屈な環境・空気から抜け出せるような笑いや音楽を作ることでしょうか。時代を憎んで人を憎まず。もう、こういう時代になってしまったのです。だからこそ、気をつけましょうね、という話。
2015年03月15日 21:28
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.happynote.jp/blog_sys/mt-tb.cgi/65