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2014年12月29日
第569回「いつか列車はやってくる」
「ご来場ありがとうございました!」
一列にならんだ八つの頭がゆっくりと降りていきます。音の海に沈んでいくような、山のいただきを通り過ぎる風の音を浴びているような。そして楽屋に戻ると、まもなく舞台上のセットを取り壊す音がきこえてきました。
思えば、このお話をいただいたのは、昨年の秋ごろ。「死神」という言葉に若干の抵抗があったものの、いざ作品の中をのぞいてみれば、その「死神」はあまりに自分と似ているところが多く、むしろ、違いを見つけることが困難なほどでした。
「あとは、お任せします」
今回演出される和田憲明氏と顔を合わせた際、そのように伝えました。こちらのスタンバイはできています。そして、どれくらい経ったでしょうか。次にお会いしたときは、台本の冒頭部分を渡されました。 最初は個別の稽古、というより面談、いや雑談からはじまりました。好きな映画の話、苦手な類の話。他愛もない話を延々としました。その頃は憲明氏の笑顔も多くみられました。ようやく舞台の話になると、聞きなれない言葉が耳に入ってきます。
「自由と決めごとの両立」 「気分の移り変わり」 「時間を生きる」
正直、最初はわかっていませんでした。厳密にいえば、なんとなくわかっていたつもりだったけど理解していないことに気付いていませんでした。そして、個人レッスンから、複数でのレッスンへ。会議室からリハーサル室へと場所こそ変わったものの、憲明氏からでてくる言葉は変わりませんでした。脳を刺激する憲明氏特有の表現。なかでも、特に印象的だったのがこの言葉でした。
「覚えてこないでね」
いままで台本を渡され、こんな風に言われたことはあったでしょうか。もう大人なので、「覚えてきてね」とは言われないにしても、台本というのは覚えてくるものという認識が常識的にあったので、ある意味、衝撃的な一言でした。
「覚えてきた言葉を順番にのべるのではなく、そのときの感情や気分からでてきた言葉であってほしい」
もちろん、すぐには理解できません。
「台詞を捨てて欲しい」 「台詞を捨てることにチャレンジしてほしい」
だから、ちょっとした言葉や言葉尻の違いは一切気にしません。むしろ、台本に載っている句読点に忠実だと叱られるほどです。台詞を捨てる、とは。しかも、左手には台本を持っています。そして、憲明氏の笑顔を見ない日が続きました。 自分のなかで気持ちの油断、時間を生きていない部分があると、「あそこの部分、なにかあった?」と訊かれます。一見、まったく同じことをやっているようでも、すべてお見通し。帽子のつばと落ちかかったメガネのあいだからのぞく目。あの目を誤魔化すことはできません。あの目にしか見えないものがあるようでした。 だから、言っていることをすべて理解できなくても、信じることはできました。きっとこの人のいうことは間違っていない。この人を信用しよう。価値観が合わなくて衝突してしまうことも少なくないなか、大人になると、これほどまでに人の尺度に身を委ねられることはなかなかありません。 どうにかしがみついていました。殺伐とした重たい空気が充満する日々。でも、きっと、素晴らしい世界が待っている。そう信じて、皆、歯を食いしばって、しがみついて、しがみついて辿り着いた場所。目を開けると、そこは素晴らしい場所でした。素晴らしい景色が待っていました。ついてきてよかった。手を放さなくてよかった。
いざはじまればあっという間だろうと覚悟はしていましたが、実際、列車のように途切れなく、8両編成の列車は、あっという間に通り過ぎていくようでした。とはいえ、毎回本番前の緊張感は減少することもなく、特に初日を突破するときのそれやエネルギーは特有のものでした。本当にゴールまでたどり着けるのか。全員が不安や想いを抱えてのぞむあの一回は、別の色彩を放っていたと思います。
「自由と決めごとの両立」 「台詞を捨てることにチャレンジしてください」 「時間を生きてください」
結局、千秋楽まで言わない日はありませんでした。出会ってからずっと、僕たちに伝えることは変わりません。最後まで、油断なく、隙なく、チャレンジしてほしい。 果たして、僕たちが、それにどれくらい応えられたかわかりません。また、演出の仕方は千差万別で、誰が正しいというものでもありません。しかし、僕たちは、素晴らしい景色を味わうことができました。毎日、たくさんの拍手を浴びることができました。 そして、たくさんの出会いがありました。出演者のみならず、スタッフ、そして観に来てくれた人たち。素晴らしい人たちと出会いました。人生において、たくさんの出会いがあります。でも、そのなかには間違いなく、大きな出会いがあり、それは、新たな価値観を与えてくれるものでした。そんな大きな出会いを今回、感じています。
僕がこの作品を通して出会った価値観は、そう簡単には手に入らないもの。コップのなかの水に色のついた滴がぽたっと落ちてきたように、この経験は、全体の色を変化させるほどの影響があったと実感しています。それは、20周年にしてはあまりに大きなご褒美でした。 どんなにいい思いをしても、味をしめてはいけない、と自分に言い聞かせていましたが、やはり舞台の素晴らしさ、魅力を感じずにはいられませんでした。もういちど、やりたい。でもそれは、ステージにあがりたいというよりも、あの帽子のつばと落ちかかったメガネの間に立ちたいという意識かもしれません。あの間からのぞく、鋭い目。その瞳のなかへ。どのタイミングになるかわかりませんが。 カタチは消えてしまったけれど、それだけ記憶のなかにはしっかりと刻まれました。この一週間は、一生輝き続けるのでしょう。ステージで浴びる拍手が演者を育てるもの。最高の拍手を、最高の音をありがとう。また、ホームで待っていてください。いつか、列車はやってきますから。 追伸:ブログやツイッター、ラジオ宛てに感想を届けてくれてありがとうございました。会場アンケートは、気持ちがぶれてしまうので、公演中はあえて目を通しませんでしたが、落ち着いてから読ませていただきます。本当にご来場ありがとうございました。
2014年12月29日 15:02