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2013年11月13日

第549回「数字では計れないもの」




 時折見かける、有名人が月収などを打ち明ける光景に違和感を覚えるのは、人の心を動かすことを生業とする者が収入という具体的な数字を公表することで感動を与えるようではあまりに芸がなさすぎる、という理由のほかにもうひとつ、最近、必要以上に数字で切り取る光景を目の当たりにするから。ドラマがはじまれば、その内容もさることながら、あがっただのさがっただの、その視聴率が取り沙汰される。以前からあったとはいえ、ここ数年でしょうか、数字で切り取られることが顕著になりました。





映画は興行収入、アルバムは売り上げ枚数、たしかにそれらはひとつの指標であり、数字で計られることは仕方のないこと。それでしか計りようがありません。しかし、人間がそうであるように、物事すべてが数字で計れるわけではありません。というよりも、むしろ、数字で計れないもの、数字の向こう側に、大切なことが存在しているのではないでしょうか。それなのに、どうしても人は数字で計り、判断してしまう。低い視聴率だからといって、質が悪いかどうかはわかりません。たしかに数字も大事ですが、それだけで判断する世の中は、うわべだけの社会、奥行きのない世界を生んでしまうのではないでしょうか。





数字ばかりで切り取っているから、偽装問題や、やらせまがいの演出が横行する。数字に気をとられた結果、本当に大切なことを見失ってしまう。数字や記号で切り取る社会に、外見が重視される美魔女が生まれるのも必然。栄養をとるために、錠剤だけを摂取する生活のようなもの。





もしも数字がなかったら。そんな生活は考えらないでしょう。だからといって、数字ばかりに気をとられていると必ずどこかで歪が生まれる。時間がなくなっては困りますが、時間に縛られすぎると、いつか破綻してしまう。なんでもそうなのです。結局、数字もひとつの道具にすぎず、ツイッターなどと同様、使い方を誤ってはいけないのです。





なぜ数字が横行するのか。なぜ数字で計り、数字で判断するのか。それが簡単だから。それが楽だから。もっといえば、自分で計り、自分で判断することを放棄しているのです。果たしてそれで、賢い生物と呼べるのでしょうか。





もし、数字よりも大切にしているものがあれば、やらせだと糾弾されるような演出法は選ばないはず。視聴者よりも、まず自分が許さない。それは、どこの世界でも同じ。数字にしがみついていると、ろくな行動をとらなくなる。数字の奴隷になってはいけないのです。





年齢だって、それが人間を決定付けるものではありません。あくまで目安にすぎず、ひとつの尺度。5段階評価の成績にしてもそう。教育機関が人間を数字で計るところにそもそもの矛盾がある。数字は利用する、活用するものであって、振り回されるものではありません。あとからついて来るもの。便利だからこそ、過度に依存してはいけないのです。





数字が横行する社会、それは奥行きのない、うわべだけの世界。数字では計れないものはきっと、見落としているだけで、たくさんあるはず。そういったものに目を向けなければなりません。数字の向こう側にある、数字では計れないもの。それこそ、尊重すべきものなのです。





 



2013年11月13日 10:27

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