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2013年08月25日

第542回「惣菜ラウンドガール」




 それからというもの、僕は、あのお店にいくのが楽しみになっていました。もちろん、味もいいし、好きなものが並んでいるから、いままでだってそれなりに楽しみではあったのだけれど、こうやって口にしてしまうほどの次元にまで達したのは、彼女があの場所に立つようになってから。





 スーパーのなかにあるお惣菜やさんは、100グラム単位の量り売りで、あれもこれもと選んでしまうと、結構値が張ってしまうのだけど、ポテトサラダにしても、アジの南蛮漬けにしても、すでに小分けにされているものに比べると、無駄に高いのではないのだと、妙に値段に納得してしまいます。週に一度くらいのペースで利用しているのですが、その日は、はじめて自転車で向かいました。がしゃんと駐輪場のレールにはめる音。サウナのような熱気から逃げるように、僕の体は、ひんやりとした空気に包まれました。





「お決まりになりましたら、どうぞ」





 いつものようにショーケースの前でかがみます。エビチリ、エビフライ、トマトサラダ。毎日同じではなく、定番のものと、ニューフェイスもあります。このときの僕は、まもなく衝撃的な光景を目の当たりにするなんて、夢にもおもいません。





「夏野菜のサラダと…」





 そして、すべての値段が決まり、僕がお金を渡したときでした。僕は、思わず、目を丸くしました。





「一万円はいりまーす」





よく耳にする言葉。しかし、ここでの「はいりまーす」はそれまで見た「はいりまーす」とはまったく異なるものでした。彼女は、両手で広げた一万円札を天高く掲げ、ほかのスタッフ全員にみせるように、ショーケースの向こう側をぐるっと一周しています。





「一万円はいりまーす」





それはまさしくラウンドガールのようでした。いままでこのお店で一万円札を渡しても、ここまで丁寧に、熱心に、報告する人がいたでしょうか。こんなにも動き回る人が、ほかの店にいるでしょうか。下手したら、ショーケースからでてきて、スーパーのフロアをまわってきそうな勢いです。惣菜ラウンドガール。その日から、彼女のことをそう呼ぶようになりました。ネームプレートの若葉マークが輝いています。なんて真摯で、なんて健気なラウンドガールでしょう。





「5千円はいりまーす!」





 5千円でも見られるのか。千円札はきっと見られないだろうけど、二千円札だったらどうなのだろう。いずれにしても、僕は、この儀式が見たくて、足を運ぶ回数が増えるばかりか、少し申し訳ないけれど、あえて高額紙幣を渡してしまう悪い客になりました。彼女があそこまでやるなら、僕も、真剣に惣菜選びをしないといけません。ゴングの音が聞こえてきました。どうか、若葉マークがとれても、そのままのキミで。



2013年08月25日 14:37

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