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2012年09月09日

第501回「はじめて空を飛んだ日に」




 





それはまるで空を飛んでいるようだった。





 





「手を放すよ!」





「ちょっと待って!まだまだ!」





ふらふらと左右に煽られながら自転車は、鈍い音とともに、アスファルトに横たわった。





 





 僕がはじめて自転車に乗ったのはたしか幼稚園のとき。ハンドルの中央に丸いプラスチックの装置があって、ボタンを押すとビームのように光って音が鳴る、いわゆる子供用の自転車。でも、タイヤはふたつではなかった。後ろのタイヤの両脇には、しっかりと補助輪があった。これさえあれば絶対に倒れることはない。これが世界で一番恰好いい乗り物だった。





そんなある日、近所の加藤が自転車に乗って颯爽と現れた。軽々と風のように走り回る彼の自転車には補助輪がついていない。その瞬間、タイヤが四つもある自転車は世界一恰好悪い乗り物になってしまった。ガーガーと音をたてる補助輪のせいで、思うように曲がることもできない。





「りょうくん、まだ補助輪つけてるの?」





そういわれるたびに僕は、この小さなふたつの車輪から解放されたいと願うようになった。このままじゃ小学校にはいって恥をかくことになる。いまのうちに補助なしで走れるようになっておきたい。でも、ひとりじゃどうにもならなかった。





「まずは片方ずつな」





父に片方の補助輪をはずされた自転車は、同じ乗り物とは思えないほど不安定で、半減どころではなかった。どうせなら両方はずしてしまいたい。





「ほら、持ってるから漕いでごらん!」





荷台の鉄の部分を、ある時は父が、ある時は兄が、ある時は加藤が持ち、補助輪のない自転車はふらふらと進んでいた。





「ちゃんと持っててよ!」





重みを感じながらペダルをこぐ。





「よし、いいぞ!」





そして体が、急に軽くなった気がした。





「ちゃんと持ってる?あれ?」





持っていないことを知った途端にバランスを崩し、あっという間に膝をすりむいていた。





「うしろ見ないでペダル漕がなくちゃ!」





いま思えば、どうして自転車に乗れなかったのか。乗れない感覚が思い出せない。でも、あのときはたしかに乗れなかった。こわくてすぐに倒れてしまって、膝に赤チンを塗ってもらっていた。





「うしろ気にしちゃだめだからな!なにがあってもまっすぐ走れよ!」





僕は夢中でペダルを漕いだ。次第に足が軽くなってくる。





「いいぞ!しっかり漕いで!」





何度もよろよろとなりながらも自転車は、いつもの道を進んでゆく。





「やった!自転車に乗っている!補助輪なしで走っている!」





 まるで空を飛んでいるような気分だった。





それからというもの、倒れることはなかった。自転車に乗れる、そう思ったときからもう、バランスを崩さなくなった。小学校にあがると、巨人の星のイラストが描かれた新しい自転車が、家にやってきた。





 はじめて自転車に乗れた日。あの日のことを思いだすと、涙が出そうになるのはどうしてだろう。はじめて手を繋いだ日。はじめて楽器を触った日。はじめて免許を手にした日。はじめて給料をもらった日。はじめて海外に渡った日。これから先、いくつのはじめてがあるだろう。はじめて空を飛んだ日に。





 





 



2012年09月09日 10:44

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