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2012年07月09日
第494回「恋ロマンティック!!」
もう、無理だと思っていました。もう、こんな日は訪れないと思っていました。決めつけることはよくないと日ごろ言い聞かせてはいますが、決めつけていました。だって、どんどん消えていくから。カタチがなくなって、ぜんぶ液晶画面に吸い込まれていくから。もう、これが人生で最後だろうと覚悟したのはベストアルバムをリリースした2年ほど前。ダウンロードという言葉が猛烈な勢いでこの島を駆け巡り、地球全体をも包み込んでいたあの頃。すっかりCDの肩身も狭くなっていました。きっとこの先アルバムはないだろう。買うことはあっても、自分で作るのはこれが最後だろう、さようならCD、ありがとうCD、そんな意味をこめて、thank you for the music!という言葉を刻んだものです。
「じゃぁ、これで!!」
だから、すべての音ができて、一枚のCDにつめこんだときは、単なる喜びとはちがう、さまざまな感情が体内にありました。最後じゃなかった。カタチになった。そこには、前回ほどの終焉感はなく、むしろ今後も継続していけるような、自信さえありました。
それにしても、いったい僕のどこにこれほどの情熱はあったのか。湧いてくるものなのか、与えられるものなのか。いい加減、ドキュメントで密着されてもいいのではと思うほどの、大量の情熱。なによりも情熱を注いでしまうのは、性格というよりもやはり、作品が自分自身だからでしょう。わが子のように、産みの苦しみを乗り越えて授かるもの。極端にいえば、情熱は、子孫を残したいという本能に近いものかもしれません。その子孫のカタチとして選ばれたのが、一枚のCDなのです。
いまでもアルバムというカタチに対する想いがなくならないのは、中学生のときに手にしたあの感触のせいでしょう。フィルムを剥がす高揚感。蓋をあける緊張感。回転しはじめる音。そう考えると、ダウンロードがあたりまえな人にとっては、ダウンロードよりも新しいスタイルが生まれたとき、ダウンロードというスタイルを懐かしむ時代がくるのかもしれません。いずれにせよ、僕は、表現者として、人間として、作品というカタチにこだわらずにはいられません。だから今回、こうして一枚のアルバムが生まれたことは、希望であり、未来であり、まさしく光。そしてこのことが、今後、たとえどのようなカタチになろうとも、自分の言葉や音を発信し続けたいという気持ちを強固なものにしました。
「恋ロマンティック!!」
これは僕がつくった魔法の言葉。この曲を聴いたら、心が軽くなるように。風が心地よくなるように。ぜひこの中に、夏をとじこめて欲しいものです。想いも、風も、海も、太陽も、ぜんぶ。この夏は、僕の魔法にかかってください。こうしてアルバムをリリースできる、人生と、環境と、時代への、感謝のことばにかえて。
2012年07月09日 10:09