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2009年05月03日

第359回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」

第五話 モンサラーシュ
 白い壁に挟まれた細い道を抜けると、ちょっとした広場にでました。それを囲んで白い建物が並び、空に十字架をかけるように教会が建っています。人の姿はなく、ただ鳥のさえずりと自分の呼吸の音だけが聞こえます。タイムスリップしたかのようで時間がとまっているようで、果たしていま感じている時間はさっきまで感じていた時間と同じものなのでしょうか。水色でペイントしてあるアライオロスの村とは違ってただ真っ白な建物とその隙間を埋める空の色はまるで雲の上を歩いているような感覚にさせます。教会の前を抜けるとようやく別の色を見つけました。壁の前で黒い服を着たおじいさんが置物のように座っています。
「ボアター」
 声をかけると小さく返事が聞こえてきました。ベレー帽をちょこんと頭に載せるおじいさんの手を支える杖の先が石畳の隙間にちょうど収まっています。そして再び白い壁が続くとまた同じようなおじいさんが現れては白い壁が続き、まるで等間隔におじいさんが配置されているようです。ひとりでぼーっとしていたりふたりでおしゃべりしていたり。この村の人たちはおしゃべりが好きなのでしょうか、いろんなところでそういった光景を目にします。そのためなのか、白い建物にはたいてい腰掛けるのにちょうどいい石段があって、もしかしたらここで一日を過ごすのかもしれません。大声ではなく声を発しているのかわからないくらい静かに。ここでは人よりも鳥たちの声のほうが目立っています。きっと鳥たちもおしゃべりをしているのでしょう。
 どれも同じ建物のようでよく見ると中で雑貨屋さんだったり毛織物屋さんだったり小さなお店があるのですが、そんな中で一軒のレストランを見つけました。白い壁に茶色い木の扉。それだけで何回もシャッターを押したくなります。扉横のメニュー表を見てはじめてレストランだとわかるもののやっているかどうかわかりません。不安な気持ちのままゆっくり扉を押すと石造りの店内に食器を洗う音が響いていました。不安げな「ボアター」という言葉に奥からエプロンをつけた若い女性がやってくると彼女は僕を奥へ案内します。店内を抜けてテラスに出た青年を待っていたのは地平線までのびる広大な景色でした。
「野菜スープとハムのサンドイッチ」
 アレンテージョの平原を太陽が照らしています。牧場、草原、オリーブ畑、そして米粒のような羊たち。まるで一枚の絵画のような牧歌的な情景に目を奪われながら心地良い風を浴びていただく野菜スープは格別においしく、特にサンドウィッチは日本で目にするものとは違った分厚い生ハムが惜しげもなくパンに挟まりそれだけ抜いて食べたくなるほどです。時計台の鐘の音が風にのって高台から平原へと滑り降りていきました。草原を背景にお皿に取り出された生ハムが陽光に輝いています。コーヒーを飲んでお腹も心もいっぱいにした僕は、店をでると再び教会前の広場に戻ってきました。この村はものの20分くらいで一周できてしまうようです。
「今日はここに泊まろう」
 もうこの小さな村から出る気がしませんでした。完全に虜になっていました。なにもしない旅にしようと思っていた旅行者からしたら最適な場所です。まだ太陽は真上にありましたがもうほかの場所に移動する気分になれずここで一泊することに決めました。体力はあっても心が離れないのです。
「ここかな」
 お店の人が教えてくれたとおり白い壁をつたっていくとそのホテルはありました。小さな看板の上に小鳥がとまっています。ホテルというよりは民宿やペンションといったところでしょうか。ジリリリと玄関のベルが静かな午後の村に響きます。
「部屋は空いていますか?」
 扉を開けたのはやや太ったお手伝いさん風の女性でした。
「えぇ空いてますよ、見ます?」
 おそらくそんな意味で案内された2階の部屋を見るなり僕は思わず声をもらしました。こじんまりした部屋を抜けるとアレンテージョを一望できるベランダがありました。さっきレストランのテラスで見た広大な景色を独り占めできるわけです。この部屋にしますと不動産屋さんに言うように伝えると、鍵のマークのような鍵が僕の手の平に載りました。
「こんなところがあるなんて…」
 その日本人はベランダに出てただぼーっとしていました。近所の売店で買ってきたアイスやジュースやお菓子が彼を囲んでいます。なにもしない旅、自分の中でそう決めていた僕は、徹底的になにもしまないことにしました。中庭いっぱいに広がるレモンの木から香りが漂ってきます。鳥と太陽と風と緑、ゆったりとした時間が流れていました。都会の贅沢もあればここでしか手に入らない贅沢もあります。普段手に入らないものを味わえたとき、それを贅沢と呼ぶのかもしれません。ここで一ヶ月生活したらどうなるのだろう、そんなことを思い浮かべる青年をやさしく照らしながら、太陽はゆっくりと地平線におりていきます。水色の空が赤く染まり、やがて姿を消した太陽にひっぱられるようにその赤い部分も地平線へと吸い込まれていきました。
「遅めの朝と日暮れに沈黙の音がする」
 沈黙どころか鳥たちがずっと歌っていました。でも、そのときの僕には沈黙の音なんてどうでもよかったのです。ただ沈み行く太陽を眺めているだけで。
「今日はお店は昼までだけど夕日を見るならテラスの席にいていいですよ、とても素晴らしいから」
 レストランの女性の言葉が頭に浮びます。おそらく同じようで毎日違うのでしょう。まったく同じものなんて二度と見られないのかもしれません。空き缶がテーブルを埋めています。そうしてモンサラーシュにゆっくりと夜が訪れました。
 白い村がオレンジ色に染まっています。夜のモンサラーシュは灯りが燈されとても幻想的で、昼とはまた別の表情をしています。おじいさんたちももう家に戻っているのでしょう。もうひとつのレストランで郷土料理を食べた僕は、部屋に戻るといつのまにかベッドの上で寝息を立てていました。その数時間後に事件は起きるのです。

2009年05月03日 11:34

コメント

またもや…つ、次が気になるッッッ!!!!


情景描写が美しくて、それに鳥のさえずりと自分の呼吸の音だけが聞こえます、というところがさらに描写の原色を強くしている気がしました。

ログで絵を描いたり、音を出したりできるなんて本当に素晴らしいと思いました。
あとは読み手も一緒にりょうさんが見た世界へいざなってくれる所がありがとうって言いたいし、何より読みやすい優しい文章が大好きです!!!!!

投稿者: 凛 | 2009年05月03日 14:01

昨夜のロケショーで披露されたラブイズオールの別バージョンがとても素敵で、
ポルトガルに行かれたから一層、ボサノヴァ、ブラジル音楽にネイティヴ!?になって出来た曲なのかな♪と感じました。
事件?・・寝てる間にバスタブのお湯が溢れて絨毯や荷物に浸水!・・とか?

投稿者: 咲子 | 2009年05月03日 14:28

その事件とは?寝ている間に起こったのかな?次回を見るのが楽しみです。わくわく。

投稿者: ゆまちゃん | 2009年05月05日 15:07

いいなぁ・・・ 莉瑛もモンサラーシュに行ってみたいですッ!! 今回は「何もしない旅」だったんですね。色んな観光地を巡るのもいいけど、何もしないでリラックスする旅ってのもステキですね♥ どんな事件が起きたのか凄ーく気になりますッ!早く続きが読みたいです★

投稿者: 莉瑛 | 2009年05月06日 22:05

 文章から、モンサラーシュの雰囲気が滲み出ています・・・。風景描写の際に言葉を探して丁寧に書いているから、このように感じられるのかもしれません。
 
 「水色の空が赤く染まり、やがて姿を消した太陽にひっぱられるようにその赤い部分も地平線へと吸い込まれていきました」
 この描写は、「なるほどなあ……」と思わず目をみはりました。

 「夜のモンサラーシュは灯りが燈されとても幻想的で」
 ここの「灯りが燈され」という表記に、「ん?」という感じを受けました。ふかわさんは「灯」と「燈」を使い分けているけれどもどういう意図でそうしたのだろうか……、と。
 “灯りは灯りでも、電灯というよりも、【昔ながらの】ガス燈という感じ”
・・・少し考えた後、このようなニュアンスが込められているように思えました。

投稿者: 明けの明星 | 2009年05月08日 17:21

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