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2007年10月28日

第291回「地球は生きている7〜distance(羊との)〜」

 それはまるで、遠くに見える白いゴルフボールのようでした。僕が立っている黄土色の台地の下に広がる果てしない草原に、ある白い物体を見つけたのです。
 今回のアイスランドドライブの楽しみは、ダイナミックな景色だけではありません。途中に現れる放牧された羊や馬たちも、観光客の心を和ませ、楽しませてくれます。アイスランドでは、夏の間たくさんの羊たちが放牧され、いたるところで草を食べている姿を見ることができます。一日中草を食べている羊たちはとても愛らしく、見ているだけで思わず笑みがこぼれてしまいます。また、アイスランドの馬はポニーのようにこじんまりしていて、何頭か並んで立ったまま寝ている姿はとても滑稽で、力が抜けてしまいます。ちなみに、アイスランドの馬は絶対に外来種と掛け合わせることはないそうで、その品種が守られているそうです。
 そんな羊や馬たちを見かけるたびに、ついついスピードを緩めてしまいます。特に羊たちは道路のすぐ近くにいることが多く、そうなると車をとめずにはいられません。一応、柵はあるものの、場所によっては何匹か出ていたり、道路を横切る羊の親子を見かけたりもします。
 「だめかぁ...」
 ずっと草を食んでいるからなにも気付いていないように見えても、ある程度のところまで近づくと、急に逃げてしまいます。どんなにこっそり近づいても、ちょっとした気配で、一斉に逃げてしまうのです。たまになかなか逃げないのがいたりしても、やっぱり触らせてはくれません。写真をとってもいつも後ろ姿ばかり。どうしてもそこに、distance(羊との)があったのです。だからといって、羊を見かけるたびにいちいち車を停めてチャレンジしていては、いつまでたっても目的地に着きません。そこで僕は、羊とのコミュニケーションの仕方を変えることにしました。
 「おーい!」
 羊たちの群れを見かけると僕はアクセルをはなし、スピードを緩めます。そして窓を全開にし、群れに向かって大きく叫ぶのです。すると、のんびりと草を食んでいる羊たちが一斉に顔をあげてこっちを向くのです。まるで、なんども練習をしたかのように、皆同じタイミングでこっちを見るのです。その姿といったらなんとけな気でかわいいのでしょう。あまりの愛らしさに胸がキュンとします。触ることはできないものの、なんだか羊たちと会話をしているようで、すごく心が温かくなるのです。だから僕は、群れを見かけるたびに窓をあけて羊たちに呼びかけていたのです。
 「こんなところにもいたのか...」
 静寂に支配され、恐怖に怯える僕の目に映ったのは、これまでずっとドライブを楽しませてくれた羊たちでした。眼下に広がる果てしない草原に、まるでゴルフボールのように、3匹の羊が見えたのです。
 「一応、叫んでみようか...」
 僕は、いつものように「おーい」と叫ぼうとしました。しかし、そう思うものの、なかなか声をだすことができません。静寂に支配されたその世界で、発した声がすぐに静寂に吸収されそうで、声を出すことに恐怖を覚えたのです。しかし、勇気をふりしぼって思いっきり声を出してみることにしました。
 「おーい!!」
 やまびこのような反響もなく、乾いた声が静寂の中に吸収されたそのときでした。
 「あ!」
 点のように小さくはあるものの、かすかに揺れていた三つのゴルフボールの動きがとまりました。はるか向こうの3匹の羊が、遠く台地の上に立つ日本人を見つめていました。
 「聞こえたんだ...」
 こんなにも遠いのに、こんなにも近くに感じたことをありません。羊とのdistanceが縮まった瞬間でした。地球に残された最後の一人とさえ感じていた僕の渇いた心を、3匹の羊たちが潤してくれたのです。僕は、これまでの人生でそのときほど羊に感謝したことはありません。そのときほど愛おしく思ったことはありません。そして一生、この瞬間の感動を忘れぬことでしょう。しばらくすると、羊たちはまた黙々と草を食べはじめました。
 「よし、戻ろう!」
 羊たちに癒された僕は、エンジンをかけ、少し先のところでUターンをし、逃げるように来た道を帰っていきました。
  戻ると、標識には「デティフォス」と書かれています。やはり道は間違っていないようです。どこか心残りではあるものの、僕はさらに一号線のリングロードを東へと進んでいきました。
 「あれ?まただ...」
 再び、デティフォスを示す標識が現れました。心のどこかでヨーロッパ一の滝に対する未練があった僕は、吸い寄せられるようにその標識の方向へ進んでいくと、いわゆる「悪路ではあるものの、トヨタでも大丈夫だよ」くらいの道が続いていました。
 「もしかして、この道だったの?」
 どうやら、僕が最初に踏み入れたのは、たしかに滝に通じるものの、旧道みたいなもので、いうなれば「別にここからも頑張ればいけるけど、いくなら4WDじゃないとだめだよ」みたいなことだったのです。そこを無理やり2WDの車で踏み込んでいっていたのです。対向車がまったくないのも当然でした。
 それでもそこから1時間くらいかかりましたが、どうにかヨーロッパ一の滝、デティフォスにたどりつくことができました。相変わらず、ヨーロッパ一の規模の滝にたいしても、ちゃんとした柵などはなく、自然がありのままの姿で残されていました。山を削るように勢いよく流れ落ちる氷河の水は、激しい音と瀑布を生み、周囲を圧倒しています。もう自然にはかなわないというよりほかありません。自然の作り出した景観は、強さと美しさとを兼ね備えた、超芸術といえるでしょう。
 「まぁとにかく見られてよかった」
 本来の目的であるデティフォスの滝を体感した僕は、暗くなる前に帰ることにしました。9月のアイスランドの日没は、だいたい夜9時くらいです。僕は、あいかわらず草を食んでいる羊たちに声を掛けながら、来た道を戻っていきました。太陽がようやく山の向こうに隠れようとしています。帰り道がもはや、懐かしく感じるようになっていました。

2.地球は生きている |2007年10月28日 09:39

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