2005年01月14日
第152回「路地裏の青春」
この時期になると否が応にも、街は勝手に華やかになります。所々に見られるイルミネーションや、恋人たちが寄り添い歩く姿は、人によっては押し付けがましく映るものです。ましてや渋谷ともなると、意識していないと人の波に流されてしまいそうになるほど、年末でテンションのあがった若者たちであふれかえっています。しかしながら、光には影がつきもので、宮益坂から1本はいれば、まるで窓を閉めたかのように、都会の喧騒が半減し、薄暗い世界が広がっています。その暗い道を、僕は歩いていました。
「いま宮益坂を曲がったところなんですけど、、、」
場所の地図を忘れてしまったために、お店に電話して道を尋ねていました。聞いたとおり角をまがると、向こうにタキシード姿の父が見えました。
「地図忘れちゃってさぁ」
「あ、そう。とりあえずいま休憩で、次は9時からだから」
「じゃぁもう少し時間あるね」
「とりあえず中はいろうか」
二人は暗闇に突入するように、ビルの階段を降りて行きました。駅からのびた坂道を曲がり、さらに脇道にはいった路地裏に、ひっそりと佇む一軒の老舗クラブがあります。クラブというべきか、ジャズバーというべきか、若者たちが踊りまくるクラブではなく、音楽を聴きながら飲食をするというような場所です。バーカウンターを抜けるといくつかのテーブルが並び、さらにその奥にステージがあります。そのステージ上では日替わりで演奏が行われ、それに合わせて来るお客さんもいれば、なんとなく飛び込んでくる人もいます。いずれにせよ、かっちりとした演奏会というものではなく、お酒を飲み交わしながら演奏を聴くというスタイルなわけです。父のあとについて中に入ると、人々の話し声と食器の音が聞こえてきました。脇に掛けられた無数のロングコートの前を通ると、数十人の年配の紳士淑女たちが、テーブルをうめていました。
「じゃぁ始まったらすぐに声かけるから、前のほうに座ってて」
父はそう言って、別の部屋へ入っていきました。僕はステージに一番近いテーブルに座り、9時からの演奏を待ちました。
その日の演奏は、KBRタンゴアンサンブルと書いてありました。それは、父が学生時代に所属していた音楽サークルで、6名ほどのメンバーによるタンゴの演奏グループなのです。実家にいると時折バイオリンの音が2階から聞こえてきたのは、たまに行われる演奏会の練習をしていたからです。そのように、卒業後も何らかの形で存続していたわけです。
「じゃぁ今度、演奏会にピアノで参加するよ」
普段、バラエティーでお世話になっているからか、今度は僕が父の活動の場に参加することになりました。
「いつも父がお世話になっています。息子の亮です」
その日のために、一度、父の練習場に訪れました。練習場といっても、そこは東京から車で1時間半くらいにあるメンバーの方の家で、その1室に時折集まっては練習しているようでした。8畳ほどの部屋に、ピアノをはじめ、ウッドベースやらアコーディオンがあるのだから、それぞれに人が付くので、とても窮屈そうにも見えました。
「ちょっと待っててな。まずこっちの練習済ませてからな」
僕は、すぐ横で父たちが練習しているのをしばらく見ていました。
「この曲の出だしの音なんだけど、、、」「ちがうちがう、そうじゃないって!」「うん、いいねぇ、いまの感じだよ」
おそらく学生時代も同じような感じだったんだろうなぁと、まるで、50年前の部室をのぞいているかのようでした。
「今回が最後の演奏となりますが、ここで私の息子が来ておりますので紹介したいと思います」
僕はすぐにステージにあがり、お客さんたちに向かって一礼しました。年齢的に僕のことを知らなくても不思議ではないので多少不安ではありましたが、温かい拍手を頂きました。
「まず最初は、チャップリン作曲のスマイルという曲を演奏したいと思います。このスマイルという言葉は、、、」
父の、おそらく前もって用意しておいた話を交えながら、無事に3曲の演奏が終わりました。
その後、僕は、元のテーブルに着き、最後まで演奏を聴いていました。平均70歳近い男たちが、タキシードを着て演奏する姿は、感動せずにはいられませんでした。そして、仲間と演奏を楽しむ父は、父のようにも見え、若者のようにも見え、自分の将来のようにも見えました。
「車で送ろうか?」
「だいじょうぶ、みんなと電車で帰るから」
そういって、父たちは駅の方へ歩いていきました。都会の路地裏に、あの頃の青春が輝いていました。
1.週刊ふかわ |2005年01月14日 21:23