« 2020年11月 | TOP | 2021年01月 »

2020年12月28日

第860回「さよなら2020」

 

 「ほろ酔い朗読会」いかがでしたでしょうか。初めての生配信。軽く焼酎を飲んだいるだけでなく、自宅の半地下からということで、普段の仕事とは違う表情になっていたかもしれません。

 実は、この機会に初めて書籍を開きました。前にも言ったように、何か発見するのが嫌なので。だから、真剣に向き合ってしまうと修正したくなるかもしれず、あまり気持ちを込めないように、人の作品を読むように視線を向けました。まずは音声チェックを兼ねた「はじめに」、続いて、今回最初に書いたエッセイである「浮力の神様」を朗読することにしました。

 初めて音読したのですが、予想以上にエネルギーを消費しました。黙読とは全然違います。画面上には視聴している方々からのメッセージがスクロールし、たくさんの人が聴いています。一緒に本を眺める人、ながら聞きの人、目を瞑る人。顔も赤みを帯びてきたので、次は気軽に読める「蓄電おじさん」にしました。それでも神経を集中するのか、もう、この二編だけでヘトヘト。箸休めに、以前寄稿した短めのエッセイを朗読することにしました。

 「りんごの木の下で」と、「美しさにまつわる」。前者は、人間とスマホの関係を、後者は、頻度と美の関係を綴ったエッセイ。特に後者は、その日が土星と木星が接近する日ということで、ちょうどいいタイミングだったと思います。

 ソファーには羊たちが数頭と、ゆずが並んでいました。冬至なので、帰りに買っておきました。余白だらけの1時間。書籍の中からは結局二編しか朗読できませんでしたが、時折響く氷の音や、無言の間から、ゆったりとした時の流れを感じてもらえたなら幸いです。もし喜んでもらえるのであれば、また開催したいと思いました。

 さて、2020年ももうすぐ終わりますね。一年前は、こんなことになるとは誰も思っていなかったわけですが。悲しい出来事も多い年でしたが、決してそれだけではなかったと思います。私に関していえば、大きな節目となる年でした。

 一月末に新潮社の方と会食をし、「書いてみませんか」の一言で動き出した執筆活動。「ラ・フォル・ジュルネ」のアンバサダーに任命され、フランス・ナントでたくさんのベートーベンを堪能できました。この頃は、マスクをつける者は誰もいません。弾丸ツアーではありましたが、往復の機内で「浮力の神様」を書いていました。

 「きらクラ!」や「アベプラ」、「フニオチナイト」は終了してしまいました。

オペラシティーでの「うたたねクラシック」や、「ラ・フォル・ジュルネ」の東京開催、長崎の「みなとまつり」や、「劇場版ロケットマンショー」も中止となりました。

 そして、三宿webの閉店。「ロケットマンデラックス」の20周年を迎える前に。あの日の、心にズシンときた感覚は今でも覚えています。例年は、平均して月に数本DJをしていたので、これだけDJブースに立たない年はありませんでしたが、ステイホーム期間中に、トミタ栞さんの振り付けする「どうにかなりそう」動画が広がり、たくさんの人が踊ってくれたので、自宅にいながらもDJ気分が味わえました。また、「あざとい夜はもう来ない?」も、いろんな人に踊ってもらいました。

 そして、「世の中と足並みがそろわない」を出版できたこと、そしてこの書籍がここまで大きな反響を生んだのは、コロナによる影響もあったと思います。普通に東京オリンピックが開催されていたら、ここまで広がらなかったのだと思います。

 プロモーションで色々なラジオに足を運び、会話をし、出会いもありました。鶴瓶師匠の番組では、とんぶりの話もできました。「劇場版」の代わりに、「配信版ロケットマンショー」も開催することができました。「ラ・フォル・ジュルネ」はできなかったけど、ラジオでベートーベン特番も担当できました。

 コロナに始まり、コロナに終わる一年。私の中にある、さまざまな感情が世の中に伝わった一年でもありました。きっと、この一年を忘れることはないでしょう。大きな時代の変化の中で、浮力が働くように。神様にはなれませんが、私なりに、この大きな波を乗り越えていきたいと思います。それではみなさん、良いお年をお迎えください。

 

PS:次回は、来年117日の配信になります。よろしくお願いします。

 

 

 

20:57 | コメント (0) | トラックバック

2020年12月22日

第859回「移りゆく景色のなかで」

 

「え?このお店も?」

 毎年夏に「5時に夢中!」のADチームを労う焼肉会をしていた場所もなくなっていました。行きつけのパン屋さん、ドーナツ屋さん、中国料理店。コロナが原因かどうかはわかりませんが、今年は、街の景色が大きく変化する年になりました。行きつけのお店がなくなるのも寂しいですが、行ったことのないお店でも、日常の景色が変わる寂しさがあります。

「じゃぁ、これで行きましょう!」

 そんなある日、さまぁ〜ずさんとの冬季限定ユニットである「ういんたぁ〜す」の曲、「夏も冬も」が完成しました。

 YouTubeの「さまぁ〜ずチャンネル」をご覧になっている方はご存知かと思いますが、突然スタートした音楽プロジェクト。今年になって、度々さまぁ〜ずさんと顔を合わせられるだけでも嬉しいのですが、さらに、音楽ユニットを組むという素敵な企画。内村プロデュースの「NO PLAN」でも音楽活動はありましたし、古くは名古屋の「げりらっパ!」という番組で一度曲を作ったこともありました。

「何百年に一度より、毎日見ているこの景色」

 書籍の取材の合間、新潮社に突然やってきた際には、「卒業ソング」というオーダーもありましたが、その後、自分なりに様々な要求を咀嚼し、イメージした結果、このようなテーマの楽曲にしました。

 日常こそが一番輝いている。これは私の長年の、いや、人生のテーマです。「何十年に一度」「数百年に一度」それらも素敵なことですが、やはり私は、毎日目にしている景色が最も輝いていると思っています。特に、コロナ禍によって、例年当たり前にできていたことが、どれもできなくなり、結局当たり前のものなんてなく、当たり前のようなふりをしている日常こそ、いかに奇跡であるか。それに比べれば、何百年に一度の頻度で訪れる現象なんて、私にとってはそれほど重要なことではありません。移りゆく景色の中で、変わらない日常への感謝の気持ち。それを、曲にしました。

 電話での会議も通り過ぎて、先日、無事にレコーディングを終えました。誤解のないように申し上げますが、あの突然の電話は、レコーディングの4日前。その4日間で別の曲となるとなかなか厳しいという話であって、時間の制約がなければ別の曲を作ることはもちろん可能でした。

 また、外部発注に関しては、これまで私がそういうことをする場合があるように聞こえたかもしれませんが、実際、一度もありません。外部発注していたら、それはその人のトラックです。レコーディング4日前の打診に対する拒絶反応が、あのような表現に繋がりました。人は、時に、真実ではないことや、思ってもいないことを口にすることがあると思いますが、その現象の一種です。

 そして、もう一つ。物作りは、多数決ではないと思っています。これに関してはもう少し時間を割いてもいいのですが、たとえ少数であれ、一人の情熱が作品を作るものだと思っています。

 いつ皆さんの耳に届くかわかりませんが、私としては、日常はもちろんですが、大好きなさまぁ〜ずのお二人がとてもカッコよく、輝く曲になったと思うので、楽しみにしていてください。移りゆく景色の中で変わらないものを大切にしたい。夏も冬も。

 

09:04 | コメント (0) | トラックバック

2020年12月13日

第858回「ごんこえ〜」

 

 123日に開催されました、「配信版ロケットマンショー」いかがでしたでしょうか。配信ではどうかなと思っていたのですが、おかげさまでタウンホールでは入りきらないほどのお客様に観ていただくことになりました。ありがとうございました。劇場版が延期となっての配信版なのですが、ラジオ版のロケットマンショーしか知らない方からしたら、ひたすら雑談だけの2時間にちょっと戸惑われたかもしれません。メールを読むコーナーもなく、「ロケットマンのテーマ」も流れず。ただ、こちらはとても楽しかったです。

 実は、事務所の地下にあるGROUNDというライブハウスから配信したのですが、ステージ上にラジオブースを模したテーブルが並び、フロアにはお客さんがいない代わりにカメラが数台、無造作に置かれています。だから、始まる前はとにかく静かで、これからエンターテインメントがスタートする雰囲気ではありませんでした。スタッフは数人いましたが、ラジオの雰囲気を保つために、笑い声は入れないでと忠告。結果、絶妙な湯加減だったかもしれません。

 それにしても、平松氏が相変わらずで安心しました。否定するでもなく、よいしょするでもなく。特に、エッセイ集に関してはさすがです。まさか読んでいないとは。楽屋で顔を合わせた時、極力会話をしないようにしていたのですが、二人しかいないので、ある程度は言葉を交わします。タイミング的に読んでいるかなと思っていたのですが。考えが甘かった。私が逆の立場だったら、確実に「読んでないとまずい!」と義務感のようなものが立ち込め、何が何でも、手に入るまで書店を巡っていたでしょう。なのに彼は。

「びっくりさせようと思ったんです」

「品川駅の本屋を探したんです!」

 なんという言い訳。いつも奥さんにこんな風に言っているのでしょうか。なんの修復にもならない言い訳。

「やったけど、家に忘れました」と、宿題を提出しない生徒の口実と同じ。本当に作家をしているとは思えません。よくコントなどを書けるものです。

 ただ、こういう男だから、私の相手ができたのです。7年間も私に振り回されない男だから務まったのです。私の機嫌に振り回されていたら、普通の人なら胃がもたないでしょう。悔しいけれど、あらためて、ベストパートナーだと感じました。

「ごんぎつね越えた?ごんこえ〜」

「あ、そうやって使うんですね?」

 こんな話、果たして他のどこでできるのでしょうか。

 

 テーブルの上にはアラビアータにシーザーサラダ、炭酸水の入ったグラス。本番前に多少食べたのですが、2時間の雑談ですっかりお腹が減ってしまいました。コロナだからか、関係ないのか、ラ・ボエムで一人打ち上げ。その間、ハッシュタグで検索すると、やってよかったと実感できるツイートばかり。劇場に一堂に会すものとは違う楽しみ方があったようです。

「これから、どうしようか」

 頻繁にやると、体内の淀みがなくなってしまうので、またやりたくなったらやる、くらいでいいのかもしれません。また今回は、劇場版がコロナ禍で配信版になりましたが、元々がラジオなので、仮にコロナが収束しても、このような配信の形で継続してもいいのではないかと思いました。そういう意味では、コロナによって生まれた新しい「ロケットマンショー」かもしれません。

 ただただ深夜のファミレスのようにダラダラと話している2時間。今後は、メールを紹介するコーナーやゲストなどをお呼びすることも可能ですし、配信ならではの実験ができるかもしれません。いつになるかわかりませんが、必ずやなんらかの形で「ロケショー」が開催されると思います。あらためて、ご視聴ありがとうございました。

18:11 | コメント (0) | トラックバック

2020年12月11日

第857回「さいごの麻婆豆腐」

 

「香旬が閉店するそうです」

 楽屋をノックしてそう伝えてくれたのは、番組の技術スタッフでした。お店の方がどうか私に伝わるようにと、何人かを介して到着した、閉店の報せ。香旬、それは私が長年愛した中国料理のお店でした。

 初めて足を運んだのはもう20年ほど前だと思います。一番近い時は、歩いて数分のところに住んでいました。当初はあんかけ焼そばなども注文していたのですが、次第にランチメニューは麻婆豆腐セットに固定されていきました。もともと、寄り道しない一筋タイプなので、一度決めたら毎回同じものにするのです。

「ライス、おかわりお願いします」

 山椒が効いていて、ピリッという辛さよりも、鼻にツーンとくる辛さ。コロコロした小さな豆腐とひき肉と、それらを包み込むとろみ。もちろん白いご飯との相性もよく、この麻婆豆腐なら何杯でも食べられます。小鉢のザーサイやスープ。さらに杏仁豆腐も付いていて、麻婆豆腐で辛く脂っこくなった口の中をスッキリまろやかにしてくれます。

 雑誌で紹介することもありました。また、「王様のブランチ」では、スタジオでいただくこともありました。自分が足を運ぶ場所なので若干抵抗はあったのですが、少しでも恩返しになればと。そういえば、「5時に夢中!」の後に、岩下さんとクリス松村さんを乗せ、ビートルの屋根を開けて向かったこともありました。その時はコース料理に舌鼓を打ちながら、3人で内緒話をたくさんしました。

 「麻婆豆腐で風邪を引く」という慣用句が生まれたのもこのお店です。当時はよくスクーターで向かっていたのですが、麻婆豆腐を食べると発汗作用があり、その汗が乾かぬうちに帰りのスクーターで風に煽られ、体調を崩すことがよくあったのです。もちろん、麻婆豆腐に罪があるわけでも、責めるわけでもなく、私がいかに、環境の変化に弱いかを表現するための慣用句。「ヘルシーDJは今日も風邪気味」というコラムで書いたと思います。

 ランチ以外にも、3週に一度くらいの頻度で、仕事帰りに寄っていました。店員さんとも親しいので、一人で伺っても会話をしながら頂いていました。しかし、最近はコロナもあって、しばらく遠ざかっていたところ、こんな報せを受けるとは。

「麻婆豆腐と、葱塩ダレの蒸し鶏で」

 麻婆豆腐と同じくらい好きだったのが、葱塩ダレの蒸し鶏。私が王様だったら毎日宮殿で食べていたでしょう。棒棒鶏も好きですが、この葱塩ダレはさっぱりして、千切りの胡瓜やひたひたの葱とのハーモニーが素晴らしく、絶品なのです。お箸で触れると、ほろほろと崩れる蒸し鶏。間に合ってよかったけれど、きっと、今日が最後になるのだろう。今までありがとう。麻婆豆腐も残りわずかになってきました。麻婆豆腐はどこでも食べられるけれど、この味は、他では味わえないから。

「まだ、入れますか?」

 お店が閉店した日の翌日、常連客を招待した、さよなら会がありました。一言、ご挨拶だけしようとのぞいてみると、そこには香旬を愛した人たちが集まっていました。

「じゃぁ、杏仁豆腐だけ」

 移転するわけではなく、今はまだ何も決まっていないようです。泣いても笑っても、これがさいごの杏仁豆腐。20年近く愛していた味。麻婆豆腐も蒸し鶏も。香旬、今までありがとう。

08:02 | コメント (0) | トラックバック

2020年12月01日

第856回「涙の理由」

 

 また、泣いてしまいました。また、醜態を晒してしまいました。もはや、この読者の皆さんにとっては、見慣れた光景でしょう。むしろ、大の大人がいつまでメソメソしているのだと、お怒りの方もいるかもしれません。

 少なくとも、嘘泣きだとは思われていないでしょうが、自分でも泣きたくて泣いているわけではないのです。溢れてきてしまうんです。ダメだ!これはまずい!と思っても止められず。心のお漏らし。どうにかしたいのですが、歳を重ねるごとに悪化している気がします。

 ただ、これだけは言わせてください。私は、泣き虫ではありません。なんの説得力もないですか?でも、本当にそんなに泣く男ではないのです。全米が泣いても、私は泣かないし、むしろ仏頂面。みんなが感動した!涙が止まらなかった!というものは、逆にどうしてこれで泣けるのだろうと疑問を抱きます。だから、なんでもかんでも泣いているわけではないのです。

 どうやら人の優しさや愛情。美しいものに触れると、ダメなのです。柴田理恵さんや徳光和夫さんのように、ワイプで抜かれて、いい感じで涙を拭ったりはできないのです。泣かせようとするものには全然うるっとしないどころか、嫌悪感を抱き、虫酸が走ってしまいます。

 以前、映画を観て、決してそれは感動を呼ぶような作品ではなかったのですが、劇場を後にして車のエンジンをかけようとしたら、ぶわーっと涙が溢れて、しばらく動けなかったことがありました。時間差で込み上げてきたのです。舞台を観に行っても、途中から一人だけずっと泣いていて、楽屋へ挨拶に行っても、源泉かけ流しの温泉のように、とめどなく涙が溢れることが多々ありました。

 とんぶりの応援大使就任の際は、大館の地元の皆さんの温かさや、子供たちの純粋な表情に胸を打たれ、滝のように涙を流していました。それをVTRで見ている時もまた決壊。テレビカメラの前で泣くなんて、リラックスしているからかもしれませんが、もう少し緊張感を持っていた方がいいのでしょうか。

 かつて、「いいとも!」卒業の際も大変でした。涙が止まらなくて、なかなか挨拶できず。ただ、卒業が悲しいからではなく、みんながあまりに優しく接してくれるから。共演者の愛情を感じたから。

 「きらクラ!」の時もありました。かつては「泣いた赤鬼」の朗読を聴いて「泣いたふか鬼」が姿を現しましたが、悲しいから涙が溢れるのではありません。ベートーベンの「皇帝」に包まれた、その美しさに触れたからです。

 若い頃は、全く関心を持たなかった箱根駅伝や、宝塚音楽学院の合格発表のシーンなどを観ても、気づくと涙が出てしまうようになりました。いつからそうなってしまったのかわかりませんが、20代の頃は、夏が終わる切なさでよく泣いていました。加齢によって涙腺が弱くなったとよく言いますが、このままいくとどうなってしまうのでしょう。公園の陽だまりで遊ぶ子供たちを観てうるうるしているかもしれません。でも、これだけは信じてください。私は、泣き虫ではないのです。

14:27 | コメント (0) | トラックバック