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2020年09月18日
第846回「悪貨は良貨を駆逐する?」
「家系ラーメン」はご存知でしょうか。食べたことはなくても、耳にしたことはあるかもしれません。横浜出身の私からすると、聞いただけで涎がこみ上げてしまうほどの響き、もはや浜っ子のソウルフードといってもいいでしょう。最後の晩餐に選ばれても文句ありません。
最近こそ行列のラーメン屋さんへは訪れていませんし、夜中のラーメンもご無沙汰ですが、学生の頃は、コンビニに並んだラーメンの本から美味しそうな一杯を見つけては足を運んだものです。
環七道路を走っていると、沿道に人の行列やタクシーの路上駐車を見かけました。環七ラーメン戦争。九州博多系の豚骨ラーメンが東京で幅を利かせ、熾烈な争いを繰り広げていました。白いスープに細麺。それまでラーメンといえば、塩、醤油、味噌の3択しかなかった私にとって、初めて口にした博多系の豚骨ラーメンには衝撃を受けました。じゃんがらラーメンでの初めての「替え玉」も緊張したものです。「なんでんかんでん」など有名店は常に長蛇の列で、テーマパークに行く気分でした。背脂系なども頭角を現し、空前のラーメンブーム。1994年3月にスタートした新横浜ラーメン博物館はラーメン人気を象徴するものでした。
初めての「家系」は、18歳の頃だったと思います。大学一年の時、サークル仲間(ラテン・アメリカ研究会)と訪れた「六角家」。噂には聞いていたものの、それほど期待せずに向かいました。というのも、味の想像がつかなかったのです。一体どんなラーメンなのか。そうして東白楽の駅から歩くこと15分。期待と不安の交錯する中、芳醇な香りに包まれる空間にたどり着きました。
「ここが六角家かぁ」
カウンターのみの店内。おそらく少し並んだと思いますが、やっと入ってもすぐに椅子には座れません。まずは父兄参観のように、壁の前に並ばされます。これから美味しいラーメンを食べるという雰囲気ではなく、区役所や空港などの手続きで並んでいるかのよう。カウンターと壁の間に、指示をする女性がいて、どこかで席が空くと、「じゃぁ君あそこ座って」「あなたはあの席」と、それはそれは美しい手さばきで配置するのです。もはやお客さんに自由はありません。友達と並んでなんて到底無理。民主主義国家とは思えない不自由さ。唯一の自由はラーメンの味のみ。もちろんスープは一択ですが、麺の硬さや油の量などを彼女に伝えると、10人分のオーダーを一気に発表していきます。
「麺かた、油濃いめ。麺かた、油少なめ」
ちゃんと覚えているだろうか、注文通りのラーメンがやってくるかと不安になるのですが、大きな寸胴の前に立つ大将がしっかり記憶していて、オーダー通りのラーメンが目の前にやってきました。スープが並々注がれた丼を両手で持ち、まずはスープから。
「こ、これが、家系か、、、」
一口すする度に体中に染み渡る感覚。塩醤油味噌はもちろん、他の豚骨ラーメンとも違います。麺も太く、食べ応えがあります。不自由さの末に味わう家系ラーメンは、見た目こそシンプルですが、今まで経験したことのない濃厚なスープで、お腹を満たすというよりも、つかの間の幸せを味わうことができました。
それが最初の「家系」。その後しばしば通うこともありましたが、今ではご褒美的な存在です。私が訪ねた「六角家」は「総本山・吉村家」から派生したものらしいのですが、かつては本牧や羽田にもありました。港北区にある姉妹店は実家から近く、よく足を運びました。都内でも、「家系」を謳っているラーメン店もありますが、やはり横浜の人間からすると純正の家系ラーメンかどうかはとても重要で、類似系では満たされないのです。
六角橋にある六角家は、2017年に惜しくも閉店してしまったので姉妹店の方によく足を運んでいたのですが、先日、六角家の破産のニュースが飛び込んできました。今後どうなってしまうのでしょう。姉妹店には今後もお世話になりたいですが、類似系が残り、本家が消えてしまうのは腑に落ちません。悪貨は良貨を駆逐するとはこのことでしょうか。
2020年09月18日 13:17
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