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2020年07月31日
第840回「箱の中にあったもの」
予想以上にコロナの波は大きく、まだまだ収束する気配がありません。「5時に夢中!」も、一度はコメンテーターの方がスタジオ復帰したものの、数日でリモート出演に戻りました。子供の頃、風邪をひいて寝込んでいると、「またぶり返すから安静にしなさい」と注意されたにも関わらず、薬のおかげで熱が下がったものだから調子に乗って体を動かし、案の定また熱を出してしまった記憶。いろんな見解がありますが、しっかり体調が万全になってから動き出さないと、結局、風邪が長引くだけのような気がします。
ただ、番組は緊急事態宣言時のような再放送ブロックはほとんどなくなりました。過去の放送も悪くはないのですが、やはり生放送ですから、今の言葉や空気を届けたい。そうして、「ドキドキボックス」も役目を終えようとしています。この箱は、これから放送する過去VTRの日付をクジで決めようというもので、何をオンエアするかは神のみぞ知るのでドキドキするわけですが、ほとんどの人が思っていたでしょう。「どうせ、もう決まっているのだろ?」「何の意味があるの?」と。しかし、私はあの箱からクジを引く一見無意味なくだりこそ、今のテレビに必要なものだと思っていたのです。
「テレビなんていい加減でいい」
子供の頃から見てきたテレビが、いつの間にか厳しい目を向けられるようになり、肩身の狭い状況が続いています。幸い、「5時に夢中!」に関してはそういった人は少なく、むしろ予算のなさなどから哀れむ声の方が多いかも知れませんが。出演者の品や情報の正確さも、番組によっては必要かもしれません。しかし、そこまで目くじら立てる相手ではないのです。「時代だから」と、まるで皆がそういったものを求めているかのような風潮にも疑問で、視聴者はテレビに真面目さや正確さを求めているとは思えず、むしろ本当はもっと寛容な空気を求めているのに、日々の生活に疲れ、ストレスを抱える者たちが、捌け口として自分に危害を加えないテレビに正義を振りかざしているだけのような気がします。それは、テレビを宿主としているウイルスのようなもの。
昭和のバラエティー番組を振り返ってみると、そこに漂っているのは、信じられないくらい平和な空気。誰も疑ってない。皆が純粋に楽しんでいる。確かにあの頃、夢中で見ていました。子供の頃は何も考えず享受できたのに、大人になると批判や批評が邪魔をしてしまうのはテレビだけではありません。いつの間にか、粗探しの習慣がついてしまう。
私の父の時代は、公共のバスなどは走行中に故障することが当たり前で、途中で乗客が降りて押したそうです。誰も文句を言わず。それから経済発展を遂げ、利便性や豊かさを手に入れると、故障することに対する免疫がなくなってしまいました。効率化をすすめ、非効率なものを排除した結果、生活は便利になったけれど、我々は数分の遅れにイライラしたり、心にゆとりがなくなり、大らかさを失って、他者を許せなくなってしまっているのではないでしょうか。
満たされると、大きな幸せよりも、細かな不満が気になってしまうのは、完璧なものに囲まれて、生きる実感がないからでしょうか。本当にはもっとゆったりとした日常を送りたいと思っているのに、なぜかそれが実現できない。だからこそ、テレビ画面に映る山中で暮らす一軒家に心惹かれる。
我々の生活にはもっと、無意味なものがあってもいいのです。もっと適当でいい。ちゃんとしなくていい。無駄があっていい。そういったものを求めていることに気づかないでいるだけ。だから、新しく始まったガウちゃんの料理コーナーもとてもいいと思います。
連日、コロナの報道で気が滅入る人も多いでしょう。テレビは世の中の空気に合わせて、うまくコントロールできるはず。しかし、情報の密度も生まれていました。これは、マスメディアの弱点と言えるでしょう。情報を届けることも大事ですが、世の中の空気を調節する役割も必要だと思っています。
テレビなんてもっといい加減でいい。それが結果として、世の中の人々の心を軽くするのではないでしょうか。完璧である必要はないのです。そんな思いが、箱の中にありました。ドキドキボックスにお目にかかる日は無くなりますが、その意識はずっと持ち続けたいと思います。
2020年07月22日
第839回「あざとい夜はもう来ない?」
今週水曜日にリリースされました「あざとい夜はもう来ない?」聴いていただけましたでしょうか。この曲は以前お伝えしたように、田中みな実さんのご厚意&ご意向に沿う形で、テレビ朝日の「あざとくて何が悪いの?」という番組のエンディング・テーマとして作ったもので、そのオンエアに先駆けて配信となりました。自分の楽曲が局所的にテレビで使用されることはしばしばありますが、ここまでしっかりと流れるのは初めてかもしれません。かつて、夏目三久さんが出演されていた深夜番組のエンディングで「FOREVER DEBUSSY」が使用されていたことがあるのですが、あくまでエンディングBGM。クレジットもありませんでした。それが今回、出演者が曲に合わせて踊るということで、好きな女性アナ1位と2位のあざとダンスに数日前からネットニュースが乱立するほど。しかも、田中みな実さんと弘中綾香さんだけでも大変なことですが、これに加えて他の共演者も踊ってくれているそうなのです。この原稿を書いている段階ではまだ拝見していないので、オンエアが非常に楽しみです。
今回の振り付けは、ウラシマンタロウくんによるもの。彼は事務所の後輩で芸人をやっているのですが、CMに出演したり、振り付けが得意なのでそういった仕事もちょくちょくやっています。「とんぶりの唄」と「どうにかなりそう」の振り付けも彼によるもの。そして「あざとい夜はもう来ない?」には「あざと可愛い」振り付け。試作段階で彼が踊る動画を見たのですが、なかなかのおっさんが踊っているにも関わらずとても可愛かったので、完成形はものすごい破壊力を持った衝撃のダンス動画になると思います。
番組のエンディングでは、90秒ほどのショートサイズですが、開設される番組公式YOUTUBEチャンネルでは、メイキング映像なども入ったフルサイズに加え、再現ドラマに出演した方のダンス動画もアップされるとのこと。色とりどりの「あざとダンス」が見られるわけです。
そして今回ヴォーカルを担当するジュリさんは、中国江蘇省生まれで、音楽高校を出て名門バークリー音楽大学に進学。現在は慶応大学の大学院生。実は、初対面がレコーディング本番でしたが、こちらのイメージに合わせて歌ってくれて、とてもスムーズにいきました。柔らかく優しい声かつ、中国出身という香りがよきスパイスになっていると思います。彼女のこれからの日本での活動のステップになればと思います。
20年前に始めたDJ。それは、自分の音を作るため。これまでたくさんの曲を作ってきましたが、世に出ずハードディスクに眠ったままの楽曲がどれほどあることでしょう。しかし、それらは地中に根を張って、私に栄養を送っているのでしょう。人との出会いのおかげで、ハードディスクを飛び出し、多くの人に聴いてもらえてとても幸せですが、これからも、しっかりと根を張りながら、花を咲かせていきたいと思います。
2020年07月17日
第838回「ニュー・シネマ・パラダイス」
初めて映画音楽というものを意識したのはいつだったでしょう。子供の頃見た映画では、あまり関心を寄せていなかったと思います。高校生の頃、学校帰りに地元の駅で安く売られている3枚組映画音楽コンピを買ったことは覚えているのですが、きっとその中に聴きたい映画音楽があったのだと思います。
「スターウォーズ」「インディージョーンズ」「スーパーマン」泣く子も黙るジョン・ウイリアムズの作品こそ有名な映画音楽ですが、そういった躍動感のある激しいものよりも、どちらかと言うと穏やかでムーディーな曲が好きでした。
「太陽がいっぱい」「サウンド・オブ・ミュージック」「ムーン・リヴァー」「黒いオルフェ」「the shadow of your smile」「追憶」「夏の日の恋」
あげればきりがありませんが、前述のSFものとは世界観が違います。人の心を揺さぶる叙情的な音。映画のために作られた場合と、もともとあった曲が劇中で使用されるケースとありますが、映画のタイトルを見ただけで、そのテーマ音楽が頭の中で流れるほど、作品とは切っても切れない存在。映画にとって音楽は、観る者の心に迫る、とても重要な役割を担っていることは言うまでもありません。
もともと映画を広めるためだったのかもしれませんが、結果的に、映画音楽が有名になり、世界のスタンダード・ナンバーになっているものも多いです。ジャズ・アレンジされたり、時代を超えて多くのアーティストにカヴァーされているので、もともと映画音楽だと知らずに聴いている場合もあるでしょう。映画を見ていなくても、その音楽は馴染みがあると言うケースも。
ビールのCMで耳にする曲は、1960年のアメリカ映画「日曜日はダメよ」の主題歌。「ブルー・ムーン」を手がけたリチャード・ロジャースのミュージカルソング「私のお気に入り」をJRのオリジナルソングだと思っている人もいるくらいですから、映画音楽と知らずに耳にしている方も多いと思います。
私が最も聴いている映画音楽はおそらくパーシーフェイス・オーケストラの「夏の日の恋」だと思います。しかし、肝心の映画「避暑地の出来事」はまだ観ていません。むしろ、私の人生のサウンドトラックになっています。数々の映画音楽を演奏しているパーシーフェイス・オーケストラは、オーケストレーションが素晴らしく、華やかな音で心を豊かにしてくれるのです。
タワーレコードやHMVで貪るように音楽を探していた18歳の頃。カテゴライズされていないCDたちの近くにはサウンドトラックのコーナーがありました。イージー・リスニングと呼ばれていた作品は、オリジナルが映画音楽だったりするので、サウンドトラックと表裏一体な感じです。
現在、部屋のCDラックにもサントラブロックがあり、そこには「黄金の7人」「ピアノレッスン」などが並んでいます。映画を観て購入したものもあれば、作品は観ずに音楽だけを買ったものも。音楽が映像以上に語り、脳を刺激するので、「ベティー・ブルー」「エターナル・サンシャイン」で使用されている音楽で、たちまちスクリーンの世界に入り込むことができます。そして忘れてはいけないのは「ニュー・シネマ・パラダイス」のサウンドトラック。
巨匠エンニオ・モリコーネの作品。彼が音楽を手がけた映画で言うと他に「マレーナ」や「鑑定士と顔のない依頼人」は何度も見ていますが、モリコーネを象徴するのはやはり「ニュー・シネマ・パラダイス」ではないでしょうか。これほど「愛」が詰まった音があるでしょうか。テレビでも頻繁に流れるので、おそらくほとんどの方が耳にしていると思います。ツナのおにぎりを食べられないのと同じで、この曲も好きすぎるが故に、ちょっとしたドキュメンタリー番組などで使用されていると、すぐにチャンネルを変えてしまいます。別の映像で上書きしたくないのです。
私が「ニュー・シネマ・パラダイス」を見たのは20歳くらいだったでしょうか。映像の美しさ、トトの可愛らしさもありますが、グイグイ引き込まれたのはやはり、モリコーネの曲の力。「ニュー・シネマ・パラダイス」はモリコーネのミュージック・クリップと捉えることもできます。それくらい、彼のメロディーが美しく心に染み込んで、映像が深く刻み込まれます。とはいえ、あのストーリーがなかったら、モリコーネからあのメロディーが紡がれることはなかったかもしれません。映画と映画音楽は面白い関係です。
私もかつて内村さんの監督する映画「ピーナッツ」で音楽を担当する機会がありましたが、やはりストーリーをイメージした上で曲を作りました。「きらクラ!」のBGM選手権で何度も実証しましたが、同じ内容でも音楽次第で感じ方は大きく異なるもの。またいつか、映画の曲を作れる機会があれば、是非チャレンジしてみたいものです。
フランシス・レイ、ミシェル・ルグラン、そしてエンニオ・モリコーネ。世界中の人々の心を潤した音楽は永遠に鳴り止むことはないでしょう。久しぶりに、トトの顔が見たくなりました。
2020年07月10日
第836回「田中みな実という女」
バラエティーはもちろん、ドラマやCMでも大活躍。写真集を出せば凄まじい売れゆきで、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの「田中みな実」さん。彼女のラジオに度々呼ばれていますが、関係は長く、まだ駆け出しの頃の番組で共演することが多かったのです。
通常のスタジオ収録と違ってロケ番組は移動の時間が長く、プライベートな話をするタイミングがあります。特に共演した深夜番組は、中央道や東名高速などの高速道路のサービスエリアを全部巡るというもので、若手芸人たちとTBSアナウンサーになりたての彼女が観光バスで移動する、遠足のようなロケでした。
当時の彼女は、現在のようなキャラクターはまだ固まっていなかったものの、方向性としてはすでに片鱗がありました。メロンパンをかじって、カメラに上目遣いで感想を言ったり、場の空気に合わせて若干イラっとさせるキャラクターを演じていました。本人はまだ局のアナウンサーとして自覚があったので葛藤も見られましたが、当時からポテンシャルの高さは窺えました。
それからしばらく接点はあまりなかったのですが、MXテレビの「ひるキュン!」という番組を彼女が担当したこともあって仲間意識が強まったのか、数年前に彼女の相談に乗ったことがありました。その時は、色々と迷いがあったようで、信じられないくらい落ち込んでいました。カフェを2件、計4時間にわたって話を聞きました。それが功を奏したのかわかりませんが、その後の彼女は憑き物が落ちたように生き生きとし、さらに活躍の場を広げていきます。あの頃はまだぬかるんでいたキャラクターもしっかり定着し、「あざと可愛い」という新しい価値観も生みました。そうして2020年。今年の顔と言ってもいいくらい一挙手一投足が注目される存在になりました。
彼女のラジオでは、本番前にいきなり「もずく」を食べ始めたり、柔軟体操を始めたりと、自然体で天真爛漫で奇想天外なところもありますが、「とんぶり」のことも僕以上に考えてくれて動画撮影にも快く応じてくれました。
また、「どうにかなりそう」の振り付け動画も、彼女にお願いしたら即答どころか、テレビ番組まで巻き込み、大人気の女子アナ・弘中綾香さんまで踊ることになりました。さらには、今月末に放送される同第三弾のエンディング・テーマを私が任されることになるなど、何か投げれば、彼女の頭の中で歯車が動き出し、すぐに実行する行動力。同時に、周囲の人間も動き出す影響力。発想力と巻き込む力。やがて女性総理になるのではないかと思ってしまうほどです。もちろん、自分には一番厳しいです。振り付け動画も、一つでいいのに3パターンも送ってきたり。1ポーズに何テイクも撮っているので、トータルでどれほど時間をかけてくれたのか。写真集の撮影にもきっと計り知れない努力があったのでしょう。ラジオで高笑いする彼女を見ると、きっとギリギリのところでバランスをとっているような気もするので、いつか壊れてしまわないか心配です。どうか彼女は、あざとくてもいい、幸せになってほしいものです。
2020年07月03日
第836回「屋根から降りた少女はいま」
さて、「どうにかなりそう」も無事に配信スタートし、ストリーミング・サービス等いろんなサイトで聴けるようになりました。前述の通り、この曲は数回の品種改良をしていますが、今回はトミタ栞さんの歌う「どうにかなりそう」を4バージョン発表することになりました。同じボーカルで背景を変える作業は、もともとリミックスが好きだった私にとってはとても楽しい時間が流れます。
iTunesではダンスチャートを席巻し、久しぶりにドキドキする日々を送りました。ダウンロードしてくれた皆さん、聴いてくれた皆さん、本当にありがとうございます。しかしながら、これだけ瞬発力があったのも、日々、ダンス動画を投稿し続けた彼女の努力の賜物と言えるでしょう。ステイホーム中に何かやれることはないかという彼女の相談に、リリースしていないこの「どうにかなりそう」のダンスを上げていくのはどうかと、私の方から提案しました。ちょうどライブで披露する用に、サビだけ振り付けがあったこと、そして、「どうにかなりそう」という言葉がその時期にぴったりだったこともあり。だから、コロナの影響がなければ、部屋で踊ることも、毎日の投稿もなかったかもしれません。
彼女をフィーチャーした曲は「新横ウォーカー」を入れるとこれで4曲目。三宿のイベントや、ロケフェスにも度々出てもらいました。
彼女を初めて見たのはおそらくテレビ神奈川の「saku saku」だと思います。神奈川県民にはおなじみの番組で、最初は屋根の上に「木村カエラ」さんが座っていました。その後、担当が変わっていく中に、十代のあどけない彼女がいました。
それから時は経ち、「I’M MUSIC」というアルバムを製作するにあたって、ボーカルを探している時期がありました。当時、僕がよく使用するレコーディングスタジオがあるのですが、そこを彼女も利用していて、スタジオのスタッフから時折名前が出ることがあり、彼女の顔が浮かびました。それが2016年の「BEST DAYS OF MY LIFE」という曲になります。この時のジャケット撮影で、緑の「ロケッ」「トマン」のトレーナーを着用した、江ノ電の鎌倉高校前駅。ちなみに、オリジナルは小西康陽さんとの黄色トレーナーです。
それから、彼女のラジオやイベントに参加したり、アルバム「SPIN」では「あいたくちがふさがらない」という曲を提供しました。
年齢こそ離れていますが、私にはない色を持っていて、コラボレートの相性はとてもいいと思います。だから、曲を広めたいというよりも、彼女という光を放つアーティストが「どうにかなりそう」という船に乗って、この世界を航海してほしいと思っていました。
毎日投稿するのも、義務になったらやめよう。やりたい気持ちがなくなったらやらないで。彼女にはそう伝えていました。しかし、飽きることなく、また、彼女なりのこだわりを持って続けていました。屋根から降りた少女は今、一人のアーティストになろうとしています。彼女のこれからの航海が素敵なものになることを願って。