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2019年07月05日
第797回「どっちが笑えるのかな?」
とある事務所では、出演料の配分が所属タレントに対して9:1からスタートし、実績を積むと徐々に変動するシステム、というのを聞いたことがあります。真実かネタかわかりませんが、そうであってもおかしくありません。
仕事があったとしてもそれは事務所のお陰なのだから、ある程度の段階までは一見理不尽とも思えるこの比率も理にかなっています。9対1どころか、ライブの手伝いなど無償での稼働も珍しいことではありませんが、それもいつしか肥やしとなるはず。経験や人との繋がりがネタになるのだから、お金よりも価値のあることでしょう。
厳しい環境にこそ、真のお笑い芸人が生まれる。今や億万長者になった人も、かつてはカップ焼きそばをコンビで分けていました。なんの保障もない世界。売れなければのたれ死んでしまうかもしれない。売れたとしても、いつまで続くかわからない。だからこそ「笑い」が宿るもの。
しかし、時代は変わりました。食えなくては芸人さんが可哀想という声も聞こえてくるようになりました。かつての抱かれたくない男が今や全国に愛されキャラになり、以前のような痛々しいことをやると「可哀想」と思われはじめたように、芸人さんに対する眼差しが変わってきました。
なんの保障もないことが笑いの土壌になっていたのに、可哀想という同情になってしまう。「守られていない」から面白いのに。守られていたら面白みが半減してしまうのに。「可哀想」な目を向けることこそ、芸人さんにとっては可哀想なのに。
笑いはお金では買えません。予算を投入すればスターが生まれるものでもありません。裕福な家庭からは「空前絶後!」は生まれないのです。
「芸人よ、不幸であれ」
これは、とあるディレクターさんの言葉。誰よりも傷ついた者こそ、そして不幸を背負った者こそ、人に笑いを提供できる。どんな逆境をも笑いに昇華させる。結果的に、不幸から幸福になっている芸人さんは数多おりますが、お金よりも笑いがほしいはずです。
最初から安定した給料の中で福利厚生もしっかりしていて、たとえ才能がなくても将来が保障されている芸人さんが一人か二人いても構わないですが、それが当たり前になったら、もはやコントの世界。補助金を受け取る補助金芸人や、国が運営する国営芸人まで登場しそうです。
憧れる者が無数にいる中で、才能ある者がのし上がってくる世界こそ健全なシステム。生活を保障するのではなく、才能を守るのが事務所の役目。芸人は、それくらいの覚悟で門を叩くもの。生活を保障してくれというのは、それに見合った実力があって初めて主張できるものだと、私は思います。
生活も未来も保障されている終身雇用系芸人と、明日すら保障されていない芸人と、面白いのはどっちなのでしょう。
2019年07月05日 18:12
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