« 第658回「いろんな絵の具を借りて」 | TOP | 第660回「石を穿たなくとも」 »

2016年05月22日

第659回「引き算なんて、できやしねぇ」

「ハリウッド映画の編集権は、監督にない」というのを聞いたことがあります。真偽はわかりませんが、もしあるとすればそれは、思い入れが邪魔をして、冷静に編集できないからかもしれません。たしかにそうです。数ヶ月、へたしたら何年も情熱を注いで撮影したにもかかわらず使わない、つまり、捨てるなんてなかなかできることではありません。だからといって、監督の思い入れに影響された作品が、観衆にとって心地よいものになるとはかぎらない。むしろ、なんの思い入れもなく、ただ観客にとって心地いいかどうかだけで判断できる人の尺度が必要なのではないか。理屈としては納得できます。引き算をする人の存在がとても重要であること。それで、監督が編集したディレクターズカットが存在するわけです。
「ニュー・シネマ・パラダイス」のディレクターズカットを見ると、「え?こんなに重要な部分があったの?!」というくらい、大きな違いがあります。こんあ重要な部分を捨ててしまうなんて。ただ、重要ではあるけれど、長くなってしまうし、胃もたれする可能性もあります。DVDならまだしも、映画館での回転率もあるでしょう。とはいえ、これだけ重要な部分を自ら捨てることができる監督なんて、イカれているとしか思えません。どちらがいいかどうかは別として、「監督が編集しない」というシステムは、とても理にかなっているといえるでしょう。
 曲のミックスもしかり。ピアノの音が好きだからといって、過度にピアノの音を持ち上げると、なんの思い入れもない人間からすれば、うるさく感じてしまいます。だからこそ、レコーディングをしたら、あとはエンジニアにお任せというのが、健全なのかもしれません。ここにも、引き算をしてくれる人の存在。やはり、ものづくりに引き算は重要なのです。
 そこで今回のニューアルバム。13曲で64分。これまでは14曲入りでしたが、一曲減らしてもトータル時間は変わらない。これはどういうことか。そうです、引き算なんて、全然していないのです。
 かつて、メジャーレーベルでやっていたときは、レコーディングの際に「ふかわさん、あと30秒短くしませんか?」なんて、機嫌を損ねないように打診してきたスタッフがいました。もちろん、理屈もわかっていますし、スタジオ代などすべてレコード会社のお金なので、断腸の思いで従うしかありません。ですが、自主レーベルを立ち上げ、ひとたび自由を手にいれた僕は、そのような打診ボーイを失い、すべて自らの尺度で構築するようになりました。自由を手にいれた分、引き算を失ったのです。こういう人間をアーティストと呼ぶのか、アーティスト失格と言うべきか。
「人生、引き算が大切」なんて偉そうなこと言っておりますが、言うは易し、行うは難し。引き算なんてできない、それどころか、やろうとも思っていない。だから見てください。最後の2曲なんてそれぞれ6分を越えています。嫌がらせではありません。僕のなかで気持ちのいい時間なのです。ここから引き算できるようになるには、あと何年か経って、曲のことなんてどうでもよくなってきたとき。ベスト盤用にエディットし直すなんてことがあれば、バシバシ削れるでしょう。きっと、引き算の鬼と化すでしょう。
 鉄は熱いうちに打て、曲は熱いうちに作れ。でも、熱いと引き算ができない。鉄が熱いうちに引き算ができるようになるのはどうしたらいいのか。それは、きっと、老いが解決してくれるでしょう。

2016年05月22日 17:39

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.happynote.jp/blog_sys/mt-tb.cgi/117

コメント

コメントしてください

名前・メールアドレス・コメントの入力は必須です。




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)