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2015年11月08日

第634回「本気をだすということ」

「受験は、本気を出す練習なんだ」
 深夜のラジオからきこえてきた声は、いつ人生の役に立つのかわからないという不信感と闘う少年の心に響いたでしょうか。たしかにそうです。この数学が、この歴史が、いったい何の役に立つというのか。専門分野に進むことでもなければ、ほとんど直接的に役に立つことはありません。論理的思考を培うにしたって、受験勉強というシステムである必要はないのだし、こんなことで評価されたくない、人生を決められたくない。そう考えると、ますますやる気がでてこない。就職するために、大学にはいるために、そんな打算的なモチベーションで向き合うものでいいのだろうか。だからこそ、深夜ラジオのパーソナリテイーは少年に伝えたかったのです。
「俺はまだ本気をだしていない」
 そんなことを口にする者は、きっと、本気を出さずに一生を終えるのでしょう。まぁ、「あと一週間あればな〜」なんていう人には、いくら時間があっても変わらないのと同様に、「本気をだしていない」状況こそが彼の限界とも捉えられますが。
 いざ本気をだそうと思っても、本気なんてすぐにはでないもの。本気をだそうにも、やり方がわからない。エンジンがどこにあるのか、どうやってかけるのか。でも、本気を出す練習を経験していると、人生のあらゆる局面で本気をだすことができる。
 では、本気をださなきゃいけないかといえば、そんなことはありません。車のスピードメーターは180キロまであっても、そこまで出す人は、違反という規定がなくても、多くはないでしょう。ただ、本気をだしておくと貯まるものがあります。それは、燃料です。
 僕は、人生という長いドライブで燃料となるのは、感情だと思っています。喜びであれ、憎しみであれ、感情がエネルギーになる。悔しさも、本気で向き合ったのに結果をだせなかったときに湧いてくる感情。それは、膨大な燃料として車に注入されるのです。本気をだせなかった悔しさもあるかもしれませんが、それは本気をだして得られる燃料に比べれば微々たるものです。本気を出すことで、たくさんの燃料が得られるのです。
 感情は生きるためエネルギー。だから、腹を立てても、感情をありがとう。怒りをありがとう、という時代がもうすぐ到来するのです。
 だから僕は、なにも感じない人たちによる平和な世界よりも、感情をありがとうという人々による平和のほうが人間的で好きです。怒りも憎しみも、排除すべきものではなく、有効な資源。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉で救われる者もいるでしょう。でも僕は、みんなが居場所に納得する社会なんてむしろ恐怖に感じてしまいます。それよりも、「こんな場所にいたくない!」という感情を上手にエネルギーに変えることこそ、いろんな状況に対応できるのではないでしょうか。
 本気なんてださなくていい。でも、海を見に行きたいのなら、山の景色を眺めたいのなら、絶景を眺めたいのなら。そのためには、ガソリンスタンドならぬ、本気スタンドが必要なのです。
 あのとき本気をだしたからたどり着いた場所。本気をださない人は、どこかで恐れているのかもしれません。自分自身を知ってしまうこと。自分と向き合うことを避けている。傷つくことをおそれている。自分の実力を知るのは怖い。現実を知ることは怖い。でも、それを受け入れるしかない。本気を出すことは、自分を知ることなのです。

2015年11月08日 18:38

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