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2015年04月26日

第611回「life is music 3 〜それは、吹き出物のようなもの〜」

 あれから一年、いや厳密にいえば、一年経つ前にアルバムをリリースできるのは、第一弾、第二弾の在庫がなくなったからではありません。部屋の片隅にはまだ段ボールが居座っているのに続編が生産されるのは、たとえるなら、それは、吹き出物のようなものだからです。
 作ろうとして作るというよりは、いつのまにかできてしまっている。天才ではないので、目覚めたらできていたということにはなりませんが、体内の不安定なものが、ニキビだとか口内炎だとか、吹き出物となってあらわれるのと同じように、心の中の言葉にならないものが、音になって体の外にでる。不安定な気持ちが、まるでニキビのように、一枚のアルバムとなって表面化されるのです。
 10代のニキビならまだしも、おっさんの吹き出物にどれほどの価値があるのかわかりませんが、なんにしてもそうでしょう。順風満帆だったら何も生まれない。生まれたとしても、そこになんの魅力もない。誰よりも傷つき、誰もよりも感じやすい心だからこそ、表現するエネルギーが生まれるもの。僕の場合、日常生活で心のタンクに蓄積された感情がタンクからあふれだすと、音となって現れるようです。だから、テレビやラジオの活動の傍ら、などと言われますが、僕は、「傍ら」だからこそ生まれるのです。理想はいつも、南の島で波の音を聴きながら音楽制作ですが、きっと、そんなことをしたら、いいものなんてできない気がします。
 感情が音になるとか、吹き出物などと口でいうのは簡単ですが、生みの苦しみは避けられません。音を作ること、集中して音に耳を傾けること、それらはリラックスして音楽を聴くのとはまったく異なり、神経を酷使するので、スタジオからでるときはいつもヘトヘト。それでも、美しい絵画を描けたような喜びを味わってしまうと、やめられなくなってしまうのです。
 音だけではありません。たとえば、曲順だとか、曲間だとか、いまの時代もはやどうでもいいというようなことにだって、あーでもないこーでもないと、試行錯誤してしまうことを、僕はいまだに放棄できないでいます。不器用なのか、頑ななのか、時代に順応できないのか。ジャケットの手触り。匂い。多感な少年時代、僕をわくわくさせてくれたアルバムだからこそ、こだわらずにはいられない。どんなに時代は変わっても。
「life is music 3」
 この数字がどこまで続くのかはわかりません。一年に一枚というペースで吹き出物はできないかもしれませんが、僕の心のタンクが機能しているうちは、数を重ねていきそうです。このアルバムが、今年の夏を駆け抜けますように。どうか、家の段ボールが少しでも、減ってくれますように。

life is music 3 / ryo fukawa 6月24日(水)発売 ¥2,500-

2015年04月26日 10:00

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